また、そもそも地上波テレビというスポンサー企業からの広告費で成り立っている媒体で、タレントが意見を言うことの構造的な限界もある。特に、昨今の松本人志、中居正広、フジテレビに関係する一連の問題に関しては、『ワイドナショー』は終始及び腰であり、出演者が自由に意見を言えるような空気ではなかった。

もはや意義は終えた

 身内の不祥事には口をつぐむというのなら、この番組の本来のコンセプトはすでに崩壊していたと言わざるを得ない。もはや『ワイドナショー』は歴史的意義を終えたのだ。

 この番組だけを責めているわけではない。どんなメディアでもどんな人間でも、それぞれの事情で「言えないこと」があるのは当たり前のことであり、そのこと自体が問題であるわけではない。

 ただ、ウェブを通してあらゆる立場の人間が自由に発信ができる今の状況では、言えないことが多すぎるオールドメディアが周回遅れのように見えてしまうのはやむを得ない。

「自由にものが言えない芸能人が集まって、自由にものを言っている雰囲気だけを醸し出す」という手法の欺瞞性は、今どきの視聴者にはすでに見抜かれている。

 テレビ局は今こそ原点に帰って、本来の自分たちの強みとは何なのかということを考えて、それを伸ばしていく戦略をとらなければいけない。それができないのなら、『ワイドナショー』の終了は地上波テレビ崩壊の序曲ということになるのかもしれない。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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