こういうものを読むと、やはりせいやは生まれながらの主人公タイプなんだな、と思う。そして、彼自身もそのことを半ば自覚しているような節がある。前述の通り、せいやは数年前からこの体験を本にしたいと話していたのだが、実際にはいじめられている最中から、その思いを抱いていたのだという。この恐るべき客観性――自分の人生を物語のように突き放して眺める視点こそが、彼を主人公たらしめている。

運にも才能にも恵まれていてこそ

 もちろん、誰もがせいやと同じやり方でいじめを克服できるわけではないし、誰もがお笑いの世界で彼のような実績を残せるわけでもない。彼が才能にも運にも恵まれていたのは間違いない。

 ただ、せいやは決して持って生まれたものだけで主人公になったわけではない。彼はいじめられている苦境の中でも、自分を物語の主人公のように考えていた。自分の人生の主人公は自分であるという当たり前の事実に向き合い、そこから逃げなかった。だからこそ、自ら道を切り開くことができたのだ。

 人生というコントの主役は自分。最後のオチで笑えるようになるためには、せいやという男の背中から学べることがたくさんあるはずだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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