誰が言ったのか知らないが、彼女には「日本一暗い歌手」という妙なキャッチフレーズがあって、本人も自虐的にあるいは冗談めかしてこれを紹介することがある。けれど、僕に言わせれば、この柴田淳像は正確ではない。まず、彼女の曲はかなり多面的である。確かに、報われない恋を嘆く歌はある。けれど、マクロな視点から世界を眺望するような曲も少なくないし、ユーモアが漂うような連作もある。そして、世の中をうまく生きられない者、弱い者、はかない者への共感が表れた曲がかなりの分量を占めている。これらの楽曲と先に挙げた失恋歌を合わせて「暗い」という言葉でかたづけてしまうのはあまりにも雑駁である。すこし、曲をあげて説明したい。

”傷ついた歌い手”が救命救急を学んだ理由

 ネガティブな思考から抜け出せない者の気持ちを丁寧に掬いとった「今夜、君の声が聞きたい」、大したものは掴めないことはわかっているけれど、それでも何かを求めてしまうやりきれない心情を歌った「それでも来た道」、外回りでまったく成果がなく帰ってきて上司に叱責された者が聞けば泣いてしまいそうな「缶ビール」、辛い現実からの胎内回帰を連想させるような「私が居てもいい世界」、自分の非力さと弱さに立ちすくみ、ため息をつくしかない心情を歌った「ため息」、そして、なにせ彼女のデビュー曲からして「ぼくの味方」なのだ。

 これらの歌には弱さに対する共感、弱きもの、傷ついたものへのいたわりが満ちている。その共感は彼女自身の弱さ、傷つきやすさに由来するものでもあるだろう。心理学者のC・G・ユングには、「傷ついた癒やし手(wounded healer)」という概念がある。自身もイジメに遭い、不登校の時期があったユングは「分析家に癒やしの力を与える者は、分析家自身の傷つきである」と述べている。柴田淳という傷ついた歌い手(wounded singer)が傷ついた心を歌うことによる治癒と、いま救わないと大事に至る状況から救出する救急救命はリンクする。彼女のリスキリングは、自分のホームグラウンドである歌の世界を豊かにするものなのだ。学生時代、彼女の目の前には二本の道が伸びていた。その片方を歩んだ彼女は、もう片方の道を交差させたのである。実に不思議で魅力的なリスキリングと言えるだろう。(文中敬称略)

しばた・じゅん/シンガーソングライター、救急救命士。3歳よりクラシックピアノを習い、高校に進学しJ-POPに目覚め歌手を目指す。2001年「ぼくの味方」でデビュー。現在まで、シングル19枚、オリジナルアルバム14枚、カバーアルバム2枚他、LIVE Blu-ray等をリリース。初のカバーアルバム「COVER 70’s」で全日本CDショップ店員組合2013特別賞を受賞。2005年ビクターエンタテインメントに移籍後、アルバムリリース時を中心に、全国ホールツアーを精力的に行なっている。コロナ禍により活動が停滞する中、救急救命士の資格取得の為、2021年より専門学校へ通い始める。2024年3月、第47回救急救命士国家試験に合格。見事救急救命士となる。

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