2025年の天赦日や吉日については、最後にまとめて紹介するとして、しばし暦注の文化的な話をしよう。

 日本の人々は暮らしの中で、歴注の影響を深く受けてきた。

平安時代中期の公卿であった藤原師輔は、自分の子孫に爪を切る日取りまで指定していたといわれています。『丑の日には手の爪、寅の日には足の爪を除きなさい』と爪を切る日まで暦注にあわせて指定したため、手の爪を切ろうと思ったら12日に1度しか切れなかったのです。沐浴日も限定されていました。連続する日もあれば、1週間以上入浴ができないこともありました。古代の貴族たちは、暦注にがんじがらめの生活を送っていました」

かつては忌日が多かったが…


 暦注はかつては、吉日よりも忌日のほうが多く指定されていたという。
 だが、江戸時代の貞享の改暦(1684年に宣下された日本の暦法改革)により、農作業など生活に有益な暦注が載るようになった。『味噌よし』『酒(造り)よし』『種まくよし』などだ。

「『禁忌』の日取りが減り、人々の生活をバックアップする暦注が出てくるように変化していきました。江戸時代の人々は日取りも方角も、暦注の吉凶を見て生活をしていたようです。けれども、暦注は『明治改暦』で『妄誕無稽」(根拠が曖昧)とされ、暦から削除されました」

それでも、暮らしの中から暦注で吉凶を占うという習慣は失われることなく、非公式の「お化け暦(ごよみ)」と呼ばれる暦が流通するようになった。

「政府に見つかったら没収されるため、版元の住所も名前もでたらめの、足がつかない『お化け暦』が闇で流通するようになりました。そこに六曜、一粒万倍日、三隣亡、九星など、江戸時代にはなかった暦注も追加され、こういった暦は商業的に広がっていきました」

大安、仏滅などの六曜は戦後広く定着したといわれるが、現代の私たちにもなじみ深い六曜のルーツは、「お化け暦」だったのだ。

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