日本美術の研究者として活躍する三笠宮家の彬子さま。皇族女性のキャリア形成の先駆け的存在=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑

「宮家に人生をささげる

 英国での留学生活をつづった『赤と青のガウン オックスフォード留学記』がベストセラーとなった三笠宮家の故・寛仁親王の長女の彬子さま(43)は、日本美術の研究者として活躍している皇族だ。女性皇族として初めて英オックスフォード大で博士号を取得するなど、女性皇族としてキャリア形成を成し遂げた先駆け的存在でもある。

 複数の関係者によれば、そうした彬子さまでさえ、父の寛仁親王から、

結婚するならば、旧皇族が相手だ」 

 と条件をつけられたと言われている。そして、彬子さまご本人も以前から周囲にこう話しているという。

「結婚はしない。三笠宮家に人生をささげるつもりだ」
 

 高円宮家では、次女の千家典子さんと三女の守谷絢子さんが結婚して皇室を離れた。長女の承子さま(38)にも、母の久子さまも公認で長年交際しているお相手がいる、といわれている。その人物と一緒にいる写真が何度かメディアに掲載されたこともある。

 にもかかわらず、数年前から結婚のタイミングをうかがいながらも踏み切らないのは、承子さまはご自分の代までは高円宮家を支える覚悟なのではないか――そのようにも受け止められている。
 

24年の春の園遊会に出席した高円宮家の長女、承子さまも母の久子さま公認といわれる「お相手」の存在がささやかれている=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA

愛子さまが皇室に残るとすれば

 そして、30歳の佳子さま、23歳の愛子さまのおふたりの人生は、皇室典範の議論の行方によって、大きく影響を受ける可能性がある。

 前出の所さんによれば、天皇家の内親王である愛子さまが皇室に残られるとして、皇位を継ぐためではなく、両陛下をお支えする役割を担うためだとすれば、その意義は大きいという。

 佳子さまも、皇室を離れれば、皇位継承権を持つ弟の悠仁さまをそばで支える皇族がいなくなってしまう。そのため、女性皇族の婚姻後の身分についての制度が固まるまでは、結婚を待つのではないか、という考えもありうる。

「いずれにせよ、あくまでも天皇ご一家秋篠宮家と内親王方がどうお考えになるかがいちばん大切です。仮に佳子さまが若い頃に皇室を出ることを希望されていたとしても、公務のご経験を積まれるなかで、お考えに変化が生じているかもしれません」
 

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