プログラムの最後には、「終わりの輪」がある。今日の感想、家に帰ったら一番に何をするか、一言ずつ話す。それぞれは気持ちを切り替えて、現実に戻っていく。ファシリテーターの松本真紀子さんは話す。
「失ったものを穴埋めすることはできません。歩みたかった道はなくなってしまい、目の前にある道はでこぼこ道で好きじゃないかもしれないけれど、それでも少しずつ新たな道をつくっていく力が誰の中にもあります」
いまの時期は「年末年始をどうするか」が最大のヤマ場だという。イベントが多く、思い出がつまっている人は多い。
誰かが「毎年つらいです」と言うと、「私だけじゃないんですね」「どうしたらいいんでしょうね」と返ってくる。
「みんな答えを知りたいと思ってるんだ、一人で過ごすのは一人じゃないんだと気づけるのだと思います」(ファシリテーターの生田ゆみさん)
悲しみ言語化する必要
東京大学名誉教授で上智大学グリーフケア研究所客員所員の島薗進さんは話す。
「昔は法事のたびに親族で集まることで、大事なものがそこにあったと確認して、悲しみを形に表すことができました」
だが、地縁血縁による人間関係が小さくなってきた。
「死を分かち合える人を新たに見つけなければならなくなりました。法事などの形がなくなったので、悲しみを形にするには言語化する必要が出てきました」(島薗さん)
だからこそ、新しい文化が生まれている。
若くして配偶者を亡くした人、子どもを亡くした人など、同じ境遇の人の自主的な集いが増えた。病院や葬祭業者が分かち合いの場を設けることもある。島薗さんは語る。
「16歳の女子が白血病だと明かして、TikTokで元気な様子を動画で配信しました。大きな共感を呼んで、彼女の死後も動画は拡散され続けています。動画が悲しみを分かち合う場になっていきました」
(編集部・井上有紀子)
※AERA 2024年12月23日号

