その後、90年代のミポリンは、夏は全日空の「沖縄キャンペーン」、冬は「雪見だいふく」のCMに出演し、日本人タレントを起用し始めたエステのCM(エステdeミロード)にもいち早く起用されました。さらには、化粧品CMも資生堂からコーセーへと舞台を移し、90年代中盤以降は「キリン一番搾り」のCMキャラクターになることで、いわゆる「ドメスティック志向」「個人至上主義」が一気に高まった平成の顔となっていったのです。

 一転、2000年代に入り間もなく、美穂さんは結婚とともに『パリ移住』という、誰も真似のできない「超個人主義的バブル」な生き方を選択しました。

 そんな美穂さんが久しぶりに日本のCMに登場したのが、06年のこと。フランスパンを片手に「横浜好き。買い物好き。お散歩好き」と呟きながら歩くミポリン。何のCMだろうと思って観ていると、突如「ヨクバリスギ。シアワセスギ。ムサシコスギ」と、当時再開発真っ只中の武蔵小杉(神奈川県川崎市)に建ったばかりのタワマンのCMだったという衝撃。そこにはもう「バブル」の残影すらありませんでした。

 これを観て「ミポリンも落ちたな」と心無い戯言を吐く連中もいましたが、どこか「最後まできちんと片を付ける」という、いちばん華やかで贅沢な時代の先頭を走った女の気概と責任感を感じました。今となっては、あらゆる時代の価値観や概念を常にシンボライズしながら、最後まで軽やかに駆け抜けていったのが、「中山美穂」という女性だったのかなと思う次第です。

「2024年、中山美穂がいなくなった」ということも、いつか振り返った時、何かしらの道標になっているような気がします。
 

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