原水爆の禁止を掲げ、世界で核兵器廃絶を訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)。12月10日、ノーベル平和賞の授賞式に臨む。受賞を機に核廃絶への思いを強くした被爆者たち。平和に向けた活動はこれからも続く。AERA 2024年12月16日号より。
【写真】「私が被爆証言できる最後の世代でしょう」と語る原田さん
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被爆50年の節目だった95年、広島市は次の50年である2045年に向けて、市民がはがきにメッセージを書く事業を企画した。はがきが集まるか気をもんだが、市職員や地元の人がはがきの投函箱を手作りして公民館や学校に置いて協力した。はがきは10万通も集まった。当時、4世帯に1枚のはがきが寄せられた計算になる。
来年は被爆80年にあたる。だが自身も被爆し、21年から広島県被団協の副理事長を務める原田浩さん(85)は1995年のような熱気を感じていないと言う。「市民あっての平和行政です。市民を巻き込んだ活動を行ってほしいです。もう、市の職員に被爆者はおらず、被爆の惨状を想像するしかありません」
被爆者の高齢化もますます進む。被団協の地方組織は11県が休止・解散し、現在も活動しているのは36都道府県。被爆体験を伝えるのはより難しくなっている。
「被爆者本人の証言がもっとも胸に迫りますが、私が被爆証言できる最後の世代でしょう」
強烈だったのはにおい
行政や市民団体が、被爆体験を伝承する語り手の育成や、AIでの伝承を目指しているが、他にもすべきことがあるのではないか。
「資料館は衣類を展示して当時を伝える工夫をしていますが、十分ではありません。一番強烈だったのは、においです。衣類の下には、手足がもがれた体、垂れ下がった皮膚がありましたが、想像できないでしょう。でも、本当に展示で再現できたとしても、私は(強烈なにおいで)資料館に入れないでしょうね」
正解はわからない。
「これから、どう残していくか、風化をいかに最小限に抑えるか。いま行っていることの質を高めていくべきだと思います」