2024年のノーベル平和賞に「核兵器NO」を国際社会に訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会が選ばれました。この団体は社会にどのような影響を与え、なぜ今、光が当てられたのでしょうか。小中学生向けのニュース月刊誌『ジュニアエラ2025年1月号』(朝日新聞出版)からお届けします。※後編<ノーベル平和賞「日本被団協」が求める、 “唯一の戦争被爆国である日本”にできることは? ジャーナリストが解説>に続く

ノーベル平和賞「日本被団協」受賞の背景は

――日本被団協とは、どのような活動をしてきた団体ですか?

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞しました。この団体は原爆で亡くなったり後遺症に苦しんだりしている人を助けようと国に働きかけたり、国連などに代表者を派遣したりするなどして、世界に向けて核兵器の廃絶や核実験の禁止を地道に訴え続けてきました。

――日本被団協はいつできたのですか?

 アメリカが太平洋戦争で広島と長崎に原爆を落としたのは1945年8月ですが、日本被団協が結成されたのは11年後の56年です。日本は原爆投下のすぐあとにアメリカに降伏しました。日本が独立を取り戻したのは52年のことです。その2年後にあった「第五福竜丸事件」が被団協結成のきっかけになりました。

――「第五福竜丸事件」とはどんな事件だったのですか?

 南太平洋にマグロ漁に出ていた日本の漁船である第五福竜丸が、アメリカの水爆実験による「死の灰」を浴び、1人が亡くなりました。この事件に衝撃を受けて日本で原水爆禁止を求める署名活動が始まり、3200万もの署名が集まりました。そして、55年に第1回の原水爆禁止世界大会が開かれ、翌56年の第2回大会で日本被団協が結成されました。

――今回、ノーベル賞に選ばれたことには、何か理由があるのでしょうか?

 ロシアとウクライナの戦闘で、ロシアは「核兵器の使用」をちらつかせています。中東では核保有国とみられるイスラエルが周辺諸国と戦っています。広島、長崎以来80年近く使われていない核兵器が使われる危うさがあるなか、警告のメッセージが込められていると考えられます。

核兵器NOの訴えがノーベル平和賞に
1954年、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行った
ビキニ環礁で「死の灰」を浴びた第五福竜丸の乗組員が病院で記者会見した
長崎で被爆して大やけどを負った自らの写真を掲げながら国連で演説する日本被団協の故・谷口稜曄さん
ノーベル平和賞「日本被団協」が求める、“唯一の戦争被爆国である日本”にできることは? ジャーナリストが解説
ジュニアエラ 2025年 1月号 [雑誌]

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一色清
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