7月27日は、神奈川県伊勢原市の大山阿夫利(おおやまあふり)神社の例大祭・夏季大祭始めの日で、大山の夏山開きが行われます。江戸時代には、「大山詣り」として絶大な人気を誇った、庶民の信仰と行楽の地・大山。都内からの日帰り登山にも最適で、交通アクセスは小田急線「伊勢原」駅からバスやケーブルカー利用と便利です。加えてディープな歴史と豊かな自然に満ちている大山の魅力を、夏本番の前にいまいちど探ってみましょう。
この記事の写真をすべて見る雨乞い信仰の地、大山は別名あめふりやま、転じてあふりやま
大山阿夫利神社の創建は、なんと今から2200余年以前。第十代崇神天皇の頃と伝えられています。標高1,252mの山頂に本社、同700メートルの中腹に下社があります。主祭神は、山の神・水の神、産業・海運の神の「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」、その名の通り雷の神様の「大雷神(おおいかずちのかみ)」、祈雨・止雨の神「高おかみ神(たかおかみのかみ)」。
水に関係する神さまが揃いますね。実際に、大山は相模湾の水蒸気によって山上に雨雲を湛えていることが多く、別名「雨降山(あめふりやま)」転じて「阿夫利山(あふりやま)」などと呼ばれていました。下界では晴れていても大山に登ると雨、という日も珍しくありません。
農民たちは水の確保が生命線となりますから、古来より大山は雨乞い信仰の中心地として親しまれていました。源頼朝をはじめ、徳川家代々将軍など武将からも厚い崇敬を受け、江戸時代には庶民の信仰を集めて「大山詣り」が盛んになります。
大山詣りには、熟練ツアーコンダクター「先導師」が引率?
江戸も中期になるとすっかり世の中も安定して、費用を積み立てて信仰仲間やご近所グループで出掛ける、講中登山や参拝が流行します。冨士講やお伊勢参りもそのひとつ。100万人都市・江戸から手頃な距離で、手形が不要な小旅行だった大山詣りは大人気となり、宝暦年間(1751~1764)には、年間20万人もの参拝者が訪れたそうです。
大山信仰を広めたその裏には、御師(おし)と呼ばれた先導師による仕掛けもありました。御師たちは、もともと大山で修行をしていた修験者(山伏)でした。戦国時代に御師が小田原北条氏の僧兵勢力であったことを危惧した徳川家康は、かれらに下山を命じます。先導師たちは、生き残り策として宿坊を営む御師となり、また関東一円を廻って盛んに大山講をサポートし、参詣の勧誘や宿の提供、寺社への道案内を行うようになります。
大山阿夫利神社下社境内にある参拝のための登拝門は、かつて夏山期間以外は固く閉ざされていました。江戸時代中期からこの門の鍵を保管していたのが、大山三大講の一つで東京・日本橋小伝馬町の、「お花講」。7月27日の夏山開きには例年、このお花講のメンバーが参加します。神事の後講元らが門を開け、「さんげ、さんげ、六根清(しょう)浄(じょう)」と掛け念仏を唱えながら登山する行事が、慣例となっています。
大山の参道には、各地から訪れた講の寄進により建造された、「玉垣」と呼ばれる石製の垣根があります。玉垣には、歌舞伎にも登場する「め組」「は組」といった火消したちの講名も残っています。自分たちの足で往復するとはいえ、参拝後に江の島や金沢八景への遊覧も可能だった大山詣りは、当時の憧れツアーだったのでしょう。大山詣は落語や浮世絵のモチーフとなっていて、江戸っ子たちの粋な様子をうかがい知ることができます。
全ての道は大山に通ず?現地大山ではお天気チェックを
房総半島や伊豆大島からも望めたという、雄大な大山。全ての道は大山に通ずと言われたほど、大山へと続く道「大山道」は関東一円に及んでいました。主なものは、「田村通り大山道」などの8つのルート。
そのうちのひとつが、「青山通り大山道」です。現在の国道246号線は、かって大山へと向かう道でした。まず神田明神に参ってから赤坂、三軒茶屋、二子の渡し(二子玉川)、長津田、伊勢原を行く、約18里(70km)の道のり。三軒茶屋の地名は、大山詣りに向かう人たちが道中一休みするための、3軒の茶屋が由来だったのです。
大山が属する丹沢山地は、国定公園にも指定されています。一帯では歴史を思い起こすだけではなく、森林浴に浸ったり、ケーブルカーを楽しんだり、参道で豆腐料理を食したりと、時間が足りなくなるほど多様な過ごし方ができます。この夏には、そんな大山の新たな顔を探求してみてはいかがでしょうか。なお、登山の際にはしっかりと準備をして、時間配分とコースを確認してくださいね。そして、別名が雨降り山ですので、お天気のチェックもどうぞお忘れなく!