
ピアニストの辻󠄀井伸行さんが世界最古のクラシック専門レーベルとの専属契約を発表した。契約後の初アルバムには、世界に知られるきっかけとなった2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで弾いた曲を選んだ。 AERA2024年12月2日号より。
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幼い頃、暮らしていたマンションの上の階から毎日のように聴こえてくる曲があった。
「綺麗だな、いい曲だな」
タイトルを知る由もなかったけれど、その曲は心にすっと入ってきた。辻󠄀井伸行さん(36)が4、5歳の頃の話だ。
「同じマンションにピアノを弾いている方がいて、一時期その曲を毎日のように練習されていたんです。それからしばらく経ち再びその曲を耳にしたとき、『美しい曲だな、なんだか聴いたことがあるな』と。そのときに初めてベートーベンの『悲愴』第2楽章だと知りました。それが僕とベートーベンの曲との出会いの始まりでした」
以来、ベートーベンの曲を弾けるようになりたい、という強い気持ちが芽生えるようになったという。
11月29日にリリースする最新アルバム「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第29番《ハンマークラヴィーア》、遥かなる恋人に」は、辻󠄀井さんにとって思い入れの深い一枚となった。今年4月、世界最古のクラシック専門レーベル「ドイツ・グラモフォン」とのグローバル専属契約を発表。最新アルバムは同レーベルからのデビューアルバムでもある。
「ドイツ・グラモフォンは、幼い頃から憧れてきたマルタ・アルゲリッチさんも契約されているレーベル。大尊敬している方々と同じレーベルで契約できるなんて夢にも思わなかったので、嬉しかったですね」
演奏家にとって手強い
嬉しさと同じくらい、プレッシャーもあった。
「ハンマークラヴィーア」は、“演奏家にとって手強い曲”として知られる。「弾くことも、表現することもすべてが難しい曲」と辻󠄀井さんは言う。
「50分ほどある曲なので、体力も集中力も必要になります。ベートーベンのピアノ・ソナタ全32曲のなかで最も難しいと言われているくらいで、大きな挑戦でした。いかに集中力が途切れないよう弾き続けるか、練習を重ね、身体に入るまで向き合うしかない、と思っていました」
一方、「遥かなる恋人に」の原曲は歌曲であるため、歌詞の意味を一つ一つ調べ、イメージを膨らませ、ときに口ずさみながら、「ピアノで歌っているかのように」演奏することを心がけたという。