骨董や美術品の目利きでもあった。
「買えるわけじゃないけど、でも、そういうものが好きっていうのは、弟(四郎)に行ったんだろうね」
3学年下の弟・四郎。69年3月、加橋かつみの脱退を受けて急遽遊学先の米国西海岸から呼び戻され、一夜にして日本一の人気者の一員になった彼もまた、ザ・タイガースによって大きく人生を変えられた一人だ。
71年のグループ解散後、飄々(ひょうひょう)とした佇まいと軽妙な話術で人気タレントとなり、ワイドショーの司会も長く務めたが98年、5億円に上る借金で自己破産し番組を降板。以降は不遇の日々が続いた。
2003年、脳出血に倒れ、後遺症で視野狭窄に。07年に愛妻が急死した。12年には身を寄せていた千葉の姉の家で、夜中にトイレに行った際に転び大腿骨を骨折。リハビリ病院を経て移った県内のグループホームへ、岸部はよく見舞いに訪れたという。
「身の回りの世話は一回り上の姉たちがよくやってくれた。僕も月に何度か行ってたかな。お年寄りに交じって体操を一緒にやったりして」
四郎は典型的な末っ子で淋しがり屋だった。
「何かあっても『誰かが何とかしてくれるやろ』と思うタイプね。リハビリも、もうちょっとがんばってほしかったんだけど……。でも、暗くなりすぎないのは性格だよね。僕が行っても、話すよりおみやげを気にしたりして。わらび餅なんか小さく切ってやると『おいしい』なんて言ってね。ただ、最後のほうは、食べることもできなくなった。それからの衰弱が早かったですね」
20年8月28日、四郎は旅立った。享年71。
苦手なことがあってもいい
岸部が今回のインタビュー依頼を受けたのは、本誌の休刊という節目に「そろそろ自分のことを話してもいいかな」と思ったからだという。普段はテレビのバラエティー番組はおろかインタビュー番組にも出ない。取材はほぼ新作映画の公開時に、雑誌や新聞など活字メディアに絞っているのだという。