ゆかさん&ひろゆきさんの日々が描かれたコミックエッセイ『だんな様はひろゆき』(原作:西村ゆか、作画:wako)は6万部突破!

 質問者さんが食にこだわることは自由ですが、そのこだわりを、相手に押し付けることは問題だと思います。家庭の味も、母の味じゃなくて父の味でも良いわけですし。味噌汁のダシの味だって、立派な家庭料理だと思いますよ。

 自分の友人夫婦の家庭は旦那さんが料理好きなので、遊びに行くといつもハンバーグやお好み焼きなど、美味しい料理を振舞ってくれます。

 そこの家の娘さんが、ある日、お母さんごっこでパパの役をやったんだと言ってきて、どうしてパパなの?って聞くと「だって、ご飯を作るから!」と元気に答えて笑ったという微笑ましいエピソードもあります。

 その料理がどれだけ手が込んでいるかより、「みんなで楽しくご飯を食べた」という時間の方が、何よりも思い出の味として心に残ると思います。
 

ひろゆきの回答

 質問者さんは、その先の悲劇を知らないパターンかな……と。

「料理はやる気になればできるものである」という勘違いをしています。料理が不得意である事を認識して市販品を使って、それなりの質にしてるだけマシなのです。

 世の中には、「メシマズ嫁」という言葉があります。

 メシマズ嫁は旦那さんに喜んでもらおうと、手間を掛けて努力をして時間を掛けて不味いご飯を作ります。「単に料理をしないから下手なだけで、何度も作るうちにだんだん上手になる」というのは幻想です。

 仮に料理のテクニックがあったとしても、味覚が大雑把とか、どんなもんでも食えちゃうとか、やたらに甘いとか、やたらに辛いモノが好きとか、完成品の料理がそもそも不味いというモノを作る人達もいるのです。

 無駄にハーブやスパイスに凝ったりするので、市販品よりも高く付きます。

 そして不味いのです。

 貴方のためを思って作ったので「美味しい?」と聞いて来ます。当然、気を使って「美味しい」と言ったら最後です。「美味しい」と貴方が言った料理を作り続けますし、方向性の修正も効かなくなります。

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「わかっている」人が思い込んでしまうこと