劇団カムカムミニキーナの稽古場では小道具の修繕にも率先して動く。新作「鶴人」は平城京の時代を舞台に、敗れた者、葬られた者に光を当てる物語。1日6時間の稽古を1カ月重ねて完成させる(写真/植田真紗美)

 楽しむことについては徹底している。妻で俳優の宮下今日子(49)は「さぞ生きてるのが楽しかろう」と思うそうだ。朝起きると歌って踊りながら2階から下りてきて、高校生の息子のお弁当の残りものをお気に入りの皿にきれいに盛り付け、満足そうに写真を撮って食べている。芝居を観れば大声で笑い、映画ではすぐに泣く。まだ息子が保育園に通っていたときのこと。発表会の客席ではしゃぎすぎ、先生から「お父さん、あなたの会じゃありません」と注意されたこともあった。

 エゴサーチをして自分に批判的なことが書かれていても、なぜか目に入らない。落ち込んでも一晩寝れば忘れてしまう。

「いやなことが通り抜けていく特殊能力を身につけている。大変なこと、つらいことがないはずはないのに、自分で上手に変換して、あれだけ毎日機嫌良くいられるのはすごいと思います」(宮下)

 八嶋自身も悩みはないと言い切る。

「責任がないから軽やかなんじゃないですかね。仕事を決めるのは事務所の人だし、プライベートとお金はすべて妻が管理している。どこに行って何をやっても楽しめるんです」

 明るい性格は子どものころからだ。奈良市で生まれた八嶋は、小学校から高校まで、奈良女子大学文学部附属(当時)の学校に通った。

「とにかく目立ちたがり屋さんで、学年集会や全校生徒の集まりでは必ず司会をやっていました」

 中学からの同級生で、のちに一緒に劇団「カムカムミニキーナ」を立ち上げる松村武(54)によれば、八嶋はクラスの中心にいるタイプで「最大派閥の長」のイメージだったと言う。高校では生徒会長、学園祭の運営委員長もつとめた。注目を集めるタレント性、みんなと仲良くなれるコミュニケーション力をすでに身につけていた。

 先に演劇に目覚めたのは八嶋だった。

「中学3年生の頃に演劇雑誌を見て、人前に出るものの一つに芝居というのがあるんだなと。初めてチケットを買って大阪の劇場に行ってみると、なんとも非日常な空間でたまらなかった」(八嶋)

観客が2年で10倍に増加 やめる理由がない

 当時は小劇場ブームが起きていた。ぎゅうぎゅう詰めの客席で観た南河内万歳一座の芝居に心を奪われ、扇町ミュージアムスクエア、近鉄小劇場などに通い始める。一人では寂しいので、演劇に興味のあった松村を誘った。日曜日に奈良から大阪の劇場に行き、帰りに食事をしながら感想を語り合う。プロレスを取り入れる南河内万歳一座の芝居は2人のお気に入りだった。

 高校2年生の学園祭では有志と共に井上ひさしの「キネマの天地」を、3年生で鴻上尚史の「朝日のような夕日をつれて」を上演した。

 八嶋は早くからプロの俳優になることを見据え、東京に行こうとしていた。大学進学は東京に行く手段でしかない。松村は八嶋から何度も「東京に行くんだよね」と確かめられたのを覚えている。

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