小説を成り立たせている重要な要素として、ゴシップとエピソードがある。丸谷才一は小説作法としてそんなことを書いたわけではないけれど、インタヴューなどではよくそう語っていた。

 たしかに丸谷才一はゴシップ好きではあったけれど、タメにするために人の噂話をすることはなかった。たとえば論敵と思われる人に対しても、その人の噂話をして何かをあげつらう、ということをしない人だったというのが私の印象である。有名人の噂話をして楽しむという性向とは遠いところにいたのではないだろうか。

 しかし、書きものとなると、話は違ってくる。

 そのゴシップ好きは、文学の領域で、大いに発揮されている。ジョイスの『ユリシーズ』がゴシップの山の上に築かれているのと同様に、丸谷の長篇小説には大小のゴシップがちりばめられている。ゴシップに噂話という訳語を当てると、やや意味するところが狭くなるのを避けるために、噂話を含むエピソード(挿話)といい直してもいい。

 そして、エピソードがいちばんよく生きている長篇は、『女ざかり』と『持ち重りする薔薇の花』であろうか。丸谷才一の主要作品を改めて読み返す機会を得て、私はそれを確認した、と思った。

 ストーリーの進展より何より、あるいは登場人物の人生のゆくたてより何より、エピソードの堆積が小説の実体をつくりあげている。格別に分析しながらこの二つの長篇を読んだわけではないのだが、小説を読む楽しみは、面白いエピソードに出会う楽しみに即応するものだった。

 丸谷才一が逝去したのが2012年10月、その一年後ぐらいに、私は大きな空洞ができたのを実感し、それを埋める手立てとして、丸谷の主要作品を読み返すことを始めた。そして何がしかの発見があった、と思ったのが、この『丸谷才一を読む』という文章を書くことに自然に繋っていったのである。

 自然に繋ったといっても、相手は丸谷才一である。何よりも私一個に偏したような感想とか感慨を述べるのは避けたい、と考えた。丸谷は、読むに値するものはすべて人類のもっている遺産であると、ごく当り前のこととして考える文学者だった。その考えに身を寄せようとすれば、丸谷の仕事として小説だけでなく、多くの著作がある評論の分野も平等に扱わなければならない。

 よく知られているように、丸谷は文学的経歴の早くから、ジェイムズ・ジョイスのモダニズム文学に惹かれ、これに学んだ。そしていっぽうで、これまた一般に考えられているよりずっと早くに、後鳥羽院をはじめとするわが王朝文学に多大な関心をいだいていた。

 モダニズム文学への傾倒は、十九世紀末からイギリスで興隆した文化人類学の思想に強く影響されることでもあった。たとえば、『黄金の枝』のJ・G・フレイザーがその代表である。文化人類学の思想に共感した後、日本文化の古層のなかに見いだしたもの――それを評論として書いたのが、『後鳥羽院』『忠臣藏とは何か』「女の救はれ」などである。

 それを裸の概念として言葉に表わすとすれば、御霊信仰、カーニヴァル、母権制社会ということになる。

 いうまでもなく、それらのことを知らなければ丸谷文学が楽しめない、というのではない。丸谷は本を読んで楽しくなければ、本を途中で投げ捨ててもいいのだと、平然といっている。自分の長篇にしても、面白さについての自信は十分にあったはずだ。

 ただ長篇『輝く日の宮』のすばらしい達成を思うとき、やはり丸谷を捉えていた思想――御霊信仰やカーニヴァルや母権制社会の文化を、丸谷の書きものによって知っているほうが、大きな楽しみを得られるのではないか、と思ってしまうのである。『輝く日の宮』は小説らしいエピソードのみごとな堆積であると同時に、小説を底支えしているのが、丸谷が評論で掘りおこしていった思想なのである。

 さらにいうと、この長篇では、20世紀末に生きる杉安佐子という若い国文学者に、ほぼ千年前の物語の魂が降りてくる。物語の魂とは『源氏物語』のそれで、その降りてくるさまを十分に感じとるのは、文学を読む大きな楽しみにほかならないからである。