ふさわしい葬儀を

 私たちが過去を振り返るとき、現在の新しいものは「過去の何かを失った上に成立しているのでは」という、ノスタルジックな視点になりがち。でも、人の死が一大事であることは昔も今も変わらない。簡素化をことさら推奨もしないが、無下に否定もできないと田中さんは言う。

「時代に応じたコンパクトさや柔軟さ、利便性が葬儀のメリットとしてうたわれても良いと私は思うんです。従来の葬儀では喪主やご遺族が一連の葬儀のタスクにてんてこまいになり、故人の思い出をかみしめ、悲しみを受け止めることがしにくい面もあった。簡素化した葬儀であっても、亡くなった方を身近に感じて偲ぶという実践が変わらず叶えられているのであれば、良いことだと思います」

 一方で前出の碑文谷さんは、「通夜で親しい人たちが集まり、声を掛け合い、遺族の思いを聞くのは貴重な時間です」としたうえで、「ただ、その『聞く人』がいるかどうかがひじょうに重要な点だ」と指摘する。

「故人の家族や親しい人たちが集まる葬儀は、間違いなく良いものです。でもいまの社会では、孤立し、そういう人にそもそも囲まれてなかった人がかなり多いのも事実。また同じ直葬でも、その形をあえて選び、火葬までの間ずっと家族が寄り添っているケースもあれば、周囲に送ってくれる人がおらず直葬を強いられているケースもある。直葬という簡素化だから良い悪いとは、一概には言えません」

 かといってただ単に「お金をかけないよう、簡素に」が良いわけでもない。大事なのはどんな形であれ、「いかにその人にふさわしく、どう送るか」だと碑文谷さんは言う。

「格差社会で、お金が十分ない人もたくさんいる。それぞれにふさわしい葬儀をするということが、選択の問題という以上に、経済的な面に大きく縛られている。葬儀の簡素化の是非を考えるときには、そこにも目を向けなければならないと思います」

(編集部・小長光哲郎)

AERA 2024年11月25日号

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