社会の変化とともに、葬儀も簡素化へ。しかし、それは本当に良いことなのか。「どこか引っかかる」という声もある。
静岡県の42歳の女性は10年ほど前、59歳で亡くなった母親を身内とごく親しい友人のみの「家族葬」で見送った。
「『大きくやらなくていいよ』という母親の言葉もあったので。ところがどこで話が漏れたのか、結果的に200人以上が来てくれたんです。最初から一般葬にしておけばちゃんともてなせたのに、と心残りがあります」
「心残りしかない」
昨年末には亡くなった父方の祖母を、コロナ禍を理由に直葬で見送らざるをえなかったことも、引っかかりの理由だ。
「お骨になって帰ってきただけ。まったく実感がないんです。私はお葬式とは故人より残された人のためだと思っているので、直葬はほんとにあり得なかった。心残りしかありません」
神奈川県の53歳の女性は2年前、義母を身内7人が参列する直葬で見送った。義母側の家族の宗教的な理由からだという。
「仕方ないですが、私は満足していません。お葬式は豪華にやる必要はないと思いますが、人とのつながりがどんどん希薄になっていくような気がして、寂しい気がします」
簡素化の選択肢もあっていい。ただ、そのことで私たちが失ってしまうものはないのだろうか。
自治医科大学教授で人類学者の田中大介さんは、「葬儀が変わっても、『変わらないもの』がある」として、こう話す。
「葬儀は、歴史的に見ても連綿と変わってきているものなんです。たとえば江戸時代、葬儀があまりに華美になりすぎたので簡素にすべきであるというお触れが出たり、その後それに反発してまた豪華になったり。ただ、簡素化が進んでも、『人が死んだら弔い、お葬式をする』という実践自体は、おそらく消えることはない。私たちが死んだ人の体を弔わず、生ごみのように扱うようになったら、そのときはもう、人間は人間ではなくなる時だと思います」