さまざまな宮中行事や祭祀を、世代を超えて受け継いできた皇室。伝統を守り続けてきた皇室の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2021年9月23日に掲載した記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。

【写真】「あわや尻もち」の雅子さまを陛下がナイスアシスト

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  9月20日、15日間に渡った天皇ご一家の引っ越しが終わった。

21年9月6日午後3時前
 皇居の新御所に入る天皇、皇后両陛下と長女愛子さま (c)朝日新聞社
21年9月6日午後3時前  皇居の新御所に入る天皇、皇后両陛下と長女愛子さま (c)朝日新聞社
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 天皇陛下と皇后雅子さまは、赤坂御所を離れるにあたり、こう感想を寄せた。

「歴代の天皇がお務めを果たされる上での礎となってきた皇居に移ることに身の引き締まる思いが致します」
 

 おふたりが、「身の引き締まる思い」と表現した通り、

「天皇家の引っ越しは、それは厳かな空気に包まれたなかで行われます」

 そう話すのは、かつて侍従として天皇家の引っ越しを経験した多賀敏行元チュニジア大使である。

 天皇家の引っ越しが特別なのは、皇位のしるしとされる三種の神器の存在だ。

 神器のうちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)が天皇とともに新御所に運ばれ、「剣璽(けんじ)の間」に納められるからだ。

 9月6日、天皇ご一家は、両陛下が結婚の翌年から25年間を過ごした赤坂御所を出発し、皇居に入った。

 陛下のうしろに二人の侍従が続き、皇后雅子さま、長女で内親王の愛子さまの順で新御所に入った。

 二人の侍従の手にあるのは、「皇位のしるし」とされる剣と璽(じ=まが玉)だ。引っ越しに伴い、新御所の「剣璽の間」に納められるのだ。

「28年前の光景がありありと思い出されます」

 元侍従の多賀さんは、懐かしそうにテレビの映像に写った引っ越しの光景を眺めた。
 

 平成の天皇ご一家が、赤坂御所から新御所に移ったのは、1993年12月8日のことだ。

 この日、多賀さんは侍従として勾玉<まがたま>を運ぶという重要な役目を担っていた。

 三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)の本体は、それぞれ伊勢神宮と熱田神宮が「天皇よりお預かり」する形で祀られている。

 皇居・賢所にある鏡と御所にある剣は「形代(かたしろ)」と呼ばれる分身だ。

 剣と勾玉は合わせて剣璽(けんじ)と呼ばれ、御所の「剣璽の間」に納められる。

「天皇陛下のすぐあとに続いたのは、陛下のハゼの研究に深く関わった古参侍従の目黒勝介さんでした。目黒侍従が剣を運び、勾玉(璽)を運ぶ私が続きました」(多賀さん)

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「天皇自身も、直に目することは出来ない三種の神器」