だが、周囲の期待とは裏腹に、1年目の定岡は、人気に実力が追いつかず、一度も1軍のマウンドに上がることなく終わった。それでも、オールスターファン投票では、第1回中間発表で、堀内、江夏豊(阪神)、鈴木孝政(中日)、外木場義郎(広島)に次ぐ5位にランクイン。最終的に1万6170票の7位だったが、同じ投票者が南海に在籍する兄・智秋にも票を入れたとみえ、1割そこそこの低打率にもかかわらず、遊撃手部門のダントツトップでオールスター初出場。期せずして、弟の恩恵にあずかる形となった。
5年間で0勝1敗、防御率6.89となかなか1軍の壁を破ることができずにいた定岡だったが、第一次長嶋政権最終年の80年にプロ初勝利を含む9勝を挙げ、1軍ローテに定着。82年に15勝を挙げ、江川卓、西本聖とともにG投の三本柱に成長した。(文・久保田龍雄)