海外の賓客や要人と親しく交流し、人間関係を築くのも皇室の役割のひとつだ。そんな皇室の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2023年3月19日に掲載された記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
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悠仁さまは、皇位継承順位2位にある。いまの皇室典範に則れば、若い世代で唯一の皇位継承者である。悠仁さまは、幼い時期からご両親と国内の土地を訪ね、そこに暮らす人たちと触れ合い文化を学んできた。天皇陛下が昔から、ご友人に「自分の足で現地に行き、自分の言葉でじかに、人びとと話をすることを大事にしたい」と語ってきたように、悠仁さまも自身の足で土地を歩き、学びを積んでいる。
※記事の前半<<16歳の悠仁さまを執拗に批判する社会は正しいのか? 幼い時期から各地に足を運び風土を学ぶ「帝王学」の芽>>から続く
平成の天皇、皇后両陛下が行ってきた慰霊の旅が令和にも引き継がれたように、悠仁さまも戦争の歴史と犠牲について学んできた。
秋篠宮ご夫妻が心を寄せてきた学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を慰霊する集いや、沖縄戦の犠牲者を追悼する集会などにも参加してきた。7歳のときにはご両親と一緒に、沖縄本島南部の糸満市摩文仁にある「平和の礎」を訪れた。ご両親は、24万人余りの名前が刻まれた石碑を前に、この土地で起きた凄惨な犠牲について説明をしている。
10歳の冬には、ご両親と長崎県の原爆の爆心地にある「原爆落下中心地碑」に供花をした。長崎原爆資料館で熱線や爆風の被害を学んでいる。
翌年の夏には、東京・小笠原諸島を訪れた悠仁さま。美しい自然とともに戦争の痕跡がいまだ残るこの地で塹壕や軍道、軍用トラックなどが残る戦争の痕跡もめぐった。
11歳の夏を迎えた2018年の8月10日。広島市の平和記念公園を初めて訪れ、原爆死没者慰霊碑に拝礼し、被爆者の体験を聞いている。
5日後の終戦記念日。秋篠宮ご夫妻は、昭和史研究者・半藤一利氏を宮邸に招いた。半藤氏は、悠仁さまに戦争について話している。
悠仁さまは、半藤氏にこう問いかけた。
「どうして日本に原爆が落ちたのか」
「なぜ戦争になったのか」
秋篠宮さまは「統帥権」について質問した。秋篠宮さまはこのとき、皇位継承順位2位。親子で学ぶ姿がそこにあった。