ダイエー時代の工藤公康
この記事の写真をすべて見る

 プロ野球もシーズンが終わると、シーズン報告や契約更改など、オフシーズン恒例の行事が待っている。そんな1年間の総決算とも言うべき話し合いの中で、球団側の塩対応や厳しい一言が物議を醸すことも少なくない。

【写真】「2億円」が「400万円」に急降下 球史に残る“大減俸”を味わった選手がこちら

 優勝を逃した直後のシーズン報告で、オーナーから冷たい言葉を浴びせられたのが、西武・森祇晶監督だ。

 1989年の西武は、終盤の連敗でリーグ5連覇を逃し、優勝した近鉄に0.5ゲーム差の3位に終わった。10月19日、森監督は堤義明オーナーを訪ね、シーズン報告を行った。

 だが、堤オーナーは労をねぎらうどころか、「来年はどうするの?(監督を)やりたければやってください」と続投を望んでいないような言葉を口にした。

 さらに「今シーズンは負けた試合ばっか見た気がするよ」「11ゲーム差を追いついたことより、11ゲーム離されたほうがおかしい」など、次々に辛辣な言葉を投げかけた。

 実は、森監督は同年で契約切れだった。とはいえ、3年連続日本一を達成した功労者を解任するわけにもいかない。そこで、「辞めなさい」と言わんばかりの塩対応によって、本人から辞表を出す形に持っていこうとしたのではないかという憶測も流れた。

「もう一度洗い直してやり直す」と翌年の雪辱を誓った森監督だったが、さすがにショックを受け、友人たちに相談した。「辞めろ」「続けろ」と意見が分かれるなか、巨人時代の恩師・川上哲治氏は「監督は誰でもやれる仕事ではない。チャンスがあるのなら続けたほうがいい」と諭したという。

 さらに“堤発言”を知った選手たちから「来年はぶっちぎりで優勝しましょう」と励まされたことにも胸を熱くし、再挑戦を決意。翌90年は2位・オリックスに12ゲーム差のぶっちぎりV、日本シリーズでも宿敵・巨人を4タテし、日本一を奪回した。

 チームが日本一になった直後の年俸交渉で、心ない言葉を投げつけられたことに失望し、FA宣言してチームを出て行ったのが、ダイエー時代の工藤公康だ。

次のページ
工藤が「この1年間の努力は何だったのか」と思ったワケ