わたくしは今般『テレビ・新聞が決して報道しないシリアの真実』という本を出版させていただいた。
新聞社系の出版社から出させていただいた本にしては親会社へいささか喧嘩腰のタイトルで恐縮なのだが、2016年6月に右掲の新書が出版されるので、この機会にわたくしが最近気になったことをひとつ書かせていただきたいと思う。
2016年4月末から5月初めにかけて、シリアで停戦が崩壊しかねない情勢を懸念する社説を何紙かが載せた。取り敢えず朝日と読売で気づいたので取り上げたい。日経は解説的記事だった。いずれも停戦を崩壊させるな、停戦が維持されるように関係国はアサド政権と反体制派に圧力を掛けろと。その主張はまことにまっとうである。ただ、それ以外はまったくいただけない。
朝日の社説はアサド政権がよほど嫌いらしい。「愚行」「拒絶」「態度を硬化」などの単語を並べ立て、こうも言う。「反体制派の反対を押して首都などの支配地域で人民議会選挙を強行し、体制を堅持する姿勢を鮮明にした」。つまり議会選挙を今の時点で実施する必要もないのに、体制堅持のために実施したという。読売もロシアのお蔭で「軍事的優位に立った。その勢いで首都ダマスカスなどで国会選を強行した。与党圧勝をアピールし、政権を存続させる狙いだろう」という。日経は「茶番」であるという。
でも、そうなのだろうか。一つ大事なことを忘れてはいないだろうか。
アサド政権であろうとなかろうと、国に憲法とされるものがあればたとえ形式的であろうとその憲法を尊重したそぶりを見せなければいけない。
シリアにも憲法がある。いろいろ批判されるアサド大統領独裁体制下のシリアのことだから、憲法があっても政権はそんな憲法にはお構いなし、だから無意味だといってしまっては、寅さんじゃないが身も蓋もない。
その憲法第56条には、人民議会の任期は4年とある。つまり、4年ごとに選挙を実施する決まりになっている。前回は12年5月2日に実施した。したがって、16年5月初めまでには議会選挙をしなければならなかったので、4月13日の選挙となった。有権者の投票行為は政治行為であるが、選挙の実施は行政行為であり、好き嫌いにかかわらず行わなければならない。12年の議会選挙の際もそうだったし、14年の大統領選挙でもそうだったが、欧米諸国はシリア政府が憲法に従って選挙を行おうとすると、毎回反対した。その理由は、今回各紙が書いたところと変わりない。つまり、毎回同じことを繰り返している。
では、もしアサド政権が反対論を受け容れて選挙を実施しなかったとすればどうなったのだろうか。その後現在に至るまで違憲状態が続き、今後とも続くということである。つまり、選挙実施の反対は、議会にしろ大統領にしろ違憲状態に置き、しかも政権側と反体制派側とが合意するまで長期間継続することだ。それは民主制度の否定である。
各紙の社説などは、お手盛り選挙の結果はどうせ与党圧勝が明らかで、体制堅持を図る茶番だといいたいのだろう。しかし、その見解すらも成立しない。なぜならば、この見解が失念していることがあるからだ。
現行憲法によれば議会はいつでも大統領により解散されるし、また大統領はいつでも辞職することができる。政権側と反体制派側とが合意すれば、大統領は辞職し、議会は解散される。つまり、選挙の実施と政権の存続とは必ずしも連動しない。それを、皆さん連動すると主張される。
今回の議会選挙をめぐって、目を通した限り欧米ではどこの報道機関もシリアの憲法制度に言及したところがなかった。シリアを非難する諸国は、12年2月にアサド政権が国際社会の批判に応えてかなり先進的な新憲法に作り直したことを忘れたのか、まったく評価しない。だからわたくしが一つ明らかだろうと思うのは、今回社説を書いた記者はシリアの現行憲法に一度も目を通したことがないのに違いないということだ。わたくしの理解が間違っていればこれほどありがたいことはないのだが。
もう一つ指摘したい。湾岸地域の絶対王制国家の中には憲法がない国がある。そんな国はいずれも金満国で、民主的国家の体裁を整えていなくても差しつかえないとばかりに欧米諸国は良好な関係を保ち仲良くしようとして来ている。そんな欧米諸国なので、そこの報道機関が報道すれば、報道の世界ではフレーミング効果が発揮され、いつの間にかアジェンダ・セッティングに従って各社で書くものが大同小異の内容になってしまうのだろう。そうすると事実関係の押さえは軽視される。