家族全員が他人みたい
「私、夫とけんかをしないんですよ。すごくないですか? 夫に文句やぐちを言わないんです。怒りが湧いたときは、陰で枕をバンバン叩いたりしながらも、夫の前ではニッコリ。イラッとしたときは、『ありがとうございます』って心の中で唱えていると落ち着くんですよ。はっはっは!」
当の夫は、機嫌が悪くなると無視するタイプだという。裕子さんは、それを空気で察し、理由は聞かずに時が経つのを待つのだそうだ。
「夫には、めっちゃ気を使いますね。『何を喋ればいいんだろうこの人』って思いながら生活している。たぶん、うちは普通の家庭とは違うと思います。家族全員が他人みたいで、団欒がない。リビングで夕食を終えると、夫は自分の部屋に行き、娘も自分の部屋に行き、私はリビングで過ごす。みんなで一緒にテレビを見るとかはないんです」
自分の感情に蓋をしていた
そうした生活の中で、裕子さんはいい妻を演じているというのだ。夫の目には、さぞ楽しそうに映っていることだろう。
「そうでしょうね。家を出るときも、『いってきま~す♪』みたいな」
それがフェイクだというのだから、まるでホラーだ。
こうして結婚生活を30年以上続けてきた裕子さんだが、ひょんなことからその考え方が大きく変わることになったという。
「私、兄がいるんですけど、表向きは仲良くしつつも、ずっと苦手だったんですよ。夫と似ていて、すごく気を使う相手なんです。たぶん、どこかで兄に認められたい気持ちがあったんだと思う。そこも、自分の感情に蓋をして、ごまかしていたんですね」
私この人嫌いだ!
ところがある日、ふとしたことがきっかけで兄と大げんかをしたという。
「数年前なんですけど、はじめて兄に対して文句が言えたんです。あれは自分でも結構びっくりした。『あ、言えた!』って。『私この人嫌いだ!』って。そのときに、蓋がバンッと開いた感じがしたんですね。それからは、兄と距離を置いています」
この「蓋が開いた」という表現は象徴的だ。その後、裕子さんは、ふいに強い衝動にかられ、本格的な音楽活動を始めた。すると、これをきっかけに、それまでの生き方に疑問を持ち始めたという。