――開店までの道のりは順調でしたか
メチャメチャ大変でしたよ(笑)。修業した店の店主には本当にお世話になって、麺、かつお節の卸先など全て紹介してもらいました。修業時代に自分で考えた「鶏天タルタルぶっかけ」など新しいメニューも入れて目黒(東京都)に店を出したのですが、お客さんが来る保障がないし、リピーターを増やさないと店が回らないので不安でした。
開店資金に1000万円かかるので今田耕司さん、宮迫博之さんに500万円ずつ貸していただいて。先輩に借金している状態は落ち着かないので、人件費を削るために午前7時の仕込みから夜10時過ぎの後片付けまで毎日働き、2年で全額返済しました。ピン芸人で劇場の出番もあったのでお店を抜ける時間帯もありましたが、ネタ以外はうどんしか頭になかったです。忙しすぎてテレビを全然見ていなかったので、世間の話題にまったくついていけませんでしたね。
「プロ野球ニュース」のお笑い版?
――うどん店の経営をしていた17年に芸人引退を宣言し、同時に吉本興業を退社して、女性週刊誌の「女性自身」のライターに転身されたときは話題を呼びました
49歳だったのですが、1回リセットしたかったんです。プロ野球選手が引退したらスポーツ番組で解説者として選手をインタビューするじゃないですか。元選手とやり取りした方が盛り上がるのを見て、お笑いバージョンをやれば面白そうやなと。「プロ野球ニュース」を見てひらめきました(笑)。「インタビューマン山下」として活動しています。
――メディアの側になって思ったことはありますか
取材対象者に話しづらいことを聞いて、リアクションが悪かったらさっと引くようにしています。無理に引き出すより、話したいことを話してもらうほうが相手の気分が乗ることに気づいて。あと、インタビューは、その方の人物像を下調べして企画書を作成し、アポ取りして取材後の記事編集と、やることが多いじゃないですか。芸人のときはカメラが回っているときだけ動けばよかったのですが、番組制作に携わるスタッフさんは下準備、終わった後のフォローを含めて大変だったんだなあ、とあらためて感じました。