光浦靖子さん(みつうら・やすこ)/1971年、愛知県生まれ。手芸作家・文筆家としても活動する。著書に『50歳になりまして』『私が作って私がときめく自家発電ブローチ集』『ようやくカナダに行きまして』ほか(撮影/写真映像部・上田泰世 hair & make up 島貫香菜子)
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「人生100年時代」──。「20歳前後まで教育を受け、65歳まで働き、その後は引退して余生を楽しむ」といった3ステージの人生は、すでに過去のものになりつつある。だからこそ、大人になってから人生後半戦にむけての第2エンジンに着火したい。50歳で単身カナダに留学した光浦靖子さんに話を聞いた。AERA 2024年11月4日号より。

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「清水ミチコさんが6月にカナダに来てくれたのですが、第一声が、『光浦さん、カナダに住み続けな』だったんですよ。『東京の頃より顔が生き生きしてるから、ここが合ってるのよ』って」

 光浦靖子さんは柔らかな表情でそう笑う。50歳で単身カナダに留学して、すでに3年が過ぎた。なかなか英語は上達しないと苦笑するが、語学学校を経て、2年間料理学校に通い、今年、3年間の就労ビザを取得。

「授業料は高かったですが、高いお金を払って勉強するからこそ3年の就労ビザがもらえるんです。カナダでの労働の権利をゲットしたので、自分がここでお金を稼げるものは何だろうと考えて、私、手芸が得意だぞ、ということで、まずはワークショップを始めています」

 チケットは毎回即ソールドアウト。カナダに住む日本人をはじめ、アメリカからも来てくれる。リピーターも多く、「今、ここがみんなの憩いの場になりつつあるんです。だからこういうみんなが集える場を続けていきたい」と光浦さん。

子どもの頃からの夢

 自分の得意なことで人が喜び、それがまた自分の生き甲斐にもなる。これが本来、光浦さんが望んでいた生き方だった。

「留学は子どもの頃からの夢だったのですが、このタイミングで留学したのは、芸能界で30年近く仕事をしてきて、このまま続けていくか悩んでいたことが大きいです。周りを見ても、何かひとつ失言をしたらネットなどで叩かれてしまう。ネットには必ず私への否定的な言葉があって、人の目が怖くなっていました。みんなを喜ばせたいと頑張ってテレビに出ているのに、人のはけ口になることが私の仕事なのかと思ったら、あ、なんかちょっと違うぞと思ったんです」

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エッセイ本には、老後についてのこんな記述がある