その後も78年まで4年連続二桁勝利を記録し、チームの3年連続日本一と4年連続リーグVに貢献したが、78年の日本シリーズ直前に腰痛を発症。1年間にわたる治療で痛みは消えたが、自慢のストレートは影を潜め、復活できないまま82年限りで現役を引退した。

 前半の4年間で通算47勝35セーブを挙げたのに、後半の4年間は3勝9セーブ。まさに「太く短く」の野球人生だった。

 山口とは対照的に、今季で現役生活22年目と息の長い投手になったのが、ヤクルトの167センチ左腕・石川雅規だ。

 秋田商入学時に軟式野球を勧められたが、「3年間球拾いでもいいから」とあえて硬式野球部に入部。人一倍の努力の末、2年秋にエース番号を手にし、3年夏には強力打線の援護も得て、同校を17年ぶりの甲子園に導いた。「初志貫徹」という言葉は、今でも石川の座右の銘だ。

 出場49校の背番号1の中で2番目に小柄なエースは、初戦の浜田高戦で4対3の逆転勝利を収め、自ら和田毅(現ソフトバンク)からサヨナラ押し出し四球を選んだエピソードでも知られるが、当時はドラフト候補に挙げられるほど目立った存在ではなかった。

 だが、青学大2年春にシンカーをマスターしてエースに成長。通算23勝を挙げ、3年時にはシドニー五輪に出場するなど、“大学ナンバーワン左腕”と注目された。

 そして、8年間続いた逆指名制度に代わって自由獲得枠が導入された2001年のドラフトで、石川は同枠でヤクルトに入団。1年目に12勝をマークして新人王を獲得すると、06年まで5年連続二桁勝利を記録し、押しも押されぬ左のエースに。43歳の今季も5月10日の阪神戦でシーズン初勝利を挙げ、NPB歴代タイの新人から22年連続勝利の偉業を達成。ヤクルトの先輩左腕・安田猛同様、“小さな大投手”になった。

 最後は野手を紹介する。160センチ台のドラフト1位といえば、99年の横浜1位・田中一徳(165センチ)を思い出すファンも多いはずだ。

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