ツッコミのやり方にはさまざまなバリエーションがある。最近のトレンドは「たとえツッコミ」である。「◯◯やないか」「◯◯じゃないんだから」「〇〇みたいになってる」などと、目の前で起こったことや話題になっていることを何かにたとえる手法だ。
これは、ツッコミでありながら、それ自体で独立して笑いが取れるボケの一種でもある。そもそもテレビで活躍するような芸人は、ネタにおける役割がボケでもツッコミでも、実際にはその両方をこなせることが多い。たとえツッコミは「ツッコミのようなボケ(ボケのようなツッコミ)」であり、これを使える芸人は重宝される。
しかし、浜田はあまりそういうことをしない。むしろ、「なんでやねん」などと、極力シンプルな言葉でツッコミをいれる。しかし、それが恐ろしく正確な間合いで勢い良く繰り出されるため、そこで笑いを起こすことができる。
また、言葉そのものは単純でも、ツッコミの表現方法は多岐にわたる。無視する、怒鳴りつける、驚きあきれる、1人で爆笑するなど、感情をぶつけるようにして表情や動きで「魅せる」タイプのツッコミである。
ツッコミにおいては、ただ感情をむき出しにすれば面白くなるというものではない。どんなリアクションをするにしても、どんな言葉を放つにしても、すべては「間」で決まる。ボケに対する反応としてのツッコミにおいては、間こそが命なのだ。
そもそも、マイナーな演芸用語だった「ツッコミ」という言葉が一般的になったのは、浜田の活躍によるところが大きい。浜田の強烈なキャラクターが世間に認知されたことで、どちらかと言うと地味な役回りだったツッコミに光が当たるようになり、その概念自体が広まっていった。
成功した革命は、その成果が見えなくなる。浜田の「ツッコミ革命」以後の世界を生きている私たちは、お笑いコンビを見て当たり前のように「ツッコミはどっちだろう?」と思ったりするし、漫才を見て「このツッコミは上手い!」などと感じたりする。
松本人志という「絶対的なボケ」を相方に持っているからこそ、浜田は自身のツッコミ技術を極限まで磨き上げて、お笑いの歴史に名を刻んだ。浜田雅功はツッコミ芸人界の不動のエースである。(お笑い評論家・ラリー遠田)