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秦の兵馬俑 (写真:Robert Harding/アフロ)

 映画『キングダム大将軍の帰還』やドラマ「始皇帝 天下統一」など、始皇帝をモデルにした映像作品が人気を博している。秦の将軍たちの活躍も見どころだが、史実において将軍間の関係性はどうだったのだろうか。映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、若い将軍「李信」と、老将の王翦(おうせん)との対立について言及している。新刊『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。

【『キングダム』よりも先の史実に触れています】

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 「廟算」ということばは、戦争の前に先祖の廟の前で戦闘の勝算を謀ることであり、これが実戦の勝敗を大きく左右した。

 秦王(三六歳)と老将王翦、壮年将軍李信の対楚戦をめぐる駆け引きが、「王翦列伝」に詳しく記されている。秦王は二人を呼び、楚を攻めるのに必要な兵数を尋ねた。

 李信は二〇万で十分といい、王翦は六〇万でなければだめだと答えた。王翦は戦う前から綿密に廟算した数値を出したのであろう。しかし秦王は李信に任せ、王翦は病気を理由に帰郷した。

 筆者はこれまで、老獪で経験豊富な王翦だから六〇万、李信の若さゆえの過信が二〇万という数字を漠然と挙げたのだと考えていた。しかし六〇万には確固たる根拠があったのだと考えるようになった。

 秦と楚はあい拮抗する軍事力をもち、帯甲(よろいの武装兵)一〇〇万、戦車一〇〇〇乗、騎兵一万匹(馬の数)の大国であった。相違点は、秦の本土は地方二五〇〇里の四塞の地に対して、楚は地方五〇〇〇余里の広大な土地を持つことである。

 百万の軍事力をもつ本土の秦から六〇万も楚に動員することは、これまでには出来ない作戦であった。しかし当時の状況は、すでに三晋とよばれた中原の三国(韓・趙・魏)は滅んでおり、残されたのは燕・斉と楚であった。本土の秦を守る兵士を総動員して軍事大国楚に向けようとしたのである。

 李信のいう二〇万も計算された数字であるが、王翦は楚の一〇〇万に対抗するには無謀と考えたのであろう。案の定、二〇万の李信軍は楚軍に敗れた。二〇万をさらに李信と蒙恬の二軍に分割して攻める作戦はうまく機能せず、三日三晩昼夜をおかず果敢に攻めてきた楚軍に敗北した。

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秦王と王翦のやりとり