2月に出たこの本がいまだに売れ続け、話題になっているのは、「保育園落ちた」事件があったからだろう。子育ても大変だけど、産まなかった女性の苦しさや後ろめたさも大きいよ、というエッセイである。
10年あまり前、著者の『負け犬の遠吠え』で「既婚=勝ち組」という価値観を見せられたときにも驚いたが、こんどはもっと驚いた。既婚子ナシ男であるぼくは、そのことに罪悪感なんて持ったことがない。子供は嫌いじゃないし、となりに保育園ができてもいいと思っているけど、だって、子供がいないのはしょうがないじゃないか。
『負け犬の遠吠え』には痛々しいけど笑えるところがあった。それと比べて『子の無い人生』はちょっと重い。結婚しないことは個人の問題だが、子供を産まないことは社会の問題にされてしまうからだ。「あんたが産まないので、みんなが迷惑している」という無言有言の圧力がかかる。それは「あんたの老後を私の子供たちが支えなきゃならない」という「迷惑」であり、「人口が減って国力が弱まる」という「迷惑」である。
でも、子ナシは子アリより税金をたくさん納めていることが多いし、子供はお国のために産み育てるものではないだろう。人口が減ったら減ったで、それに合わせて暮らしていけばいいだけのことだ。
働きたい人が働けて、産みたい人が産める世の中がいい。産まないからといって後ろめたさを感じるような社会は、息苦しくていやだ。
ぼくの最期は誰が看取るか?
看取らなくてけっこう。孤独死の果てに腐乱死体もしくは白骨化死体でいい。
※週刊朝日 2016年5月27日号