イラスト:サヲリブラウン
この記事の写真をすべて見る

 作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。

【写真】この記事の写真をもっと見る

*  *  *

 久しぶりに単行本を出す準備をしています。一冊は共著で、こちらはすでに加筆修正を終えました。出版は10月あたりになると思います。

 もう一冊は単著で、出版は来年。数年分の連載をまとめたものになります。問題はこっちで、予想以上に加筆修正が多い。

 連載をまとめて本にするのは何度も経験していることですが、今回はコロナ禍を挟んでおり、テンションの調整が難しい。あの空気、それはそれで貴重なものだからそのままいけるかと思いきや、そうでもなかった。単に「古い」印象になってしまうのです。

 加えて、自分の考えや社会のムードが微妙に、しかし明確に変化していることにも気づきます。変化のスピードは年々上がっています。そのまま出せば説明不足となり、確実に誤解を生みます。

 以前は自身の内面や過去の話をメインに書いていたので、稚拙な表現を修正すれば良いだけでした。しかし、いまは違う。一昨年の当たり前は、すでにちょっとした違和感を読み手に持たせかねません。不適切とまでは言い難い、しかしこれでは言いたいことが伝わらないと、ハッキリ感じる言い回しが散見されます。昔に比べて、手を抜いて書いているわけでもないのに。

イラスト:サヲリブラウン

 書き手と読み手の共犯関係とでも言いましょうか、筆者の「言わなくてもわかるでしょ」を読み取るのが読書の喜びのひとつだと、私は常々考えていました。平たく言うと「わかる!」という感覚。それが、もう通じなくなった。体感として、10年前は言わなくてもある程度通ったのに。

 書いていないことを読まれ、言ってないことを聞かれる経験は年々増えている気がする。いや、違う。「わかってますよ」をちゃんと言わないと、マナー違反みたいな社会ムードなんだよな。

 世の中の炎上案件のいくつかは、言葉足らずと情報の受け手が置かれた立場に対する配慮不足です。炎上を恐れ書かなくなるわけではないけれど、誤解で読み手を落胆させたり傷つけたりはしたくはない。でも、言い訳がましくなったり正論をぶっ放すのは最も避けたい。このバランスが非常に難しい!

 めんどくさい世の中になったとは、絶対言いたくないんです。だって、それじゃあ書き手として負けじゃん。嗚呼、懇切丁寧に書けば書くほど言い訳がましくなっちゃう。どうしたものか!

AERA 2024年10月7日号

著者プロフィールを見る
ジェーン・スー

ジェーン・スー

(コラムニスト・ラジオパーソナリティ) 1973年東京生まれの日本人。 2021年に『生きるとか死ぬとか父親とか』が、テレビ東京系列で連続ドラマ化され話題に(主演:吉田羊・國村隼/脚本:井土紀州)。 2023年8月現在、毎日新聞やAERA、婦人公論などで数多くの連載を持つ。

ジェーン・スーの記事一覧はこちら