作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。
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久しぶりに単行本を出す準備をしています。一冊は共著で、こちらはすでに加筆修正を終えました。出版は10月あたりになると思います。
もう一冊は単著で、出版は来年。数年分の連載をまとめたものになります。問題はこっちで、予想以上に加筆修正が多い。
連載をまとめて本にするのは何度も経験していることですが、今回はコロナ禍を挟んでおり、テンションの調整が難しい。あの空気、それはそれで貴重なものだからそのままいけるかと思いきや、そうでもなかった。単に「古い」印象になってしまうのです。
加えて、自分の考えや社会のムードが微妙に、しかし明確に変化していることにも気づきます。変化のスピードは年々上がっています。そのまま出せば説明不足となり、確実に誤解を生みます。
以前は自身の内面や過去の話をメインに書いていたので、稚拙な表現を修正すれば良いだけでした。しかし、いまは違う。一昨年の当たり前は、すでにちょっとした違和感を読み手に持たせかねません。不適切とまでは言い難い、しかしこれでは言いたいことが伝わらないと、ハッキリ感じる言い回しが散見されます。昔に比べて、手を抜いて書いているわけでもないのに。
書き手と読み手の共犯関係とでも言いましょうか、筆者の「言わなくてもわかるでしょ」を読み取るのが読書の喜びのひとつだと、私は常々考えていました。平たく言うと「わかる!」という感覚。それが、もう通じなくなった。体感として、10年前は言わなくてもある程度通ったのに。
書いていないことを読まれ、言ってないことを聞かれる経験は年々増えている気がする。いや、違う。「わかってますよ」をちゃんと言わないと、マナー違反みたいな社会ムードなんだよな。
世の中の炎上案件のいくつかは、言葉足らずと情報の受け手が置かれた立場に対する配慮不足です。炎上を恐れ書かなくなるわけではないけれど、誤解で読み手を落胆させたり傷つけたりはしたくはない。でも、言い訳がましくなったり正論をぶっ放すのは最も避けたい。このバランスが非常に難しい!
めんどくさい世の中になったとは、絶対言いたくないんです。だって、それじゃあ書き手として負けじゃん。嗚呼、懇切丁寧に書けば書くほど言い訳がましくなっちゃう。どうしたものか!
※AERA 2024年10月7日号