ち:変なせきをしていて、おかしいなと思って、「病院に行ったら?」と言ったのに。でも、「今月忙しいから」とか言ってマージャンとピアノの発表会。あの時に行っていればな……。
弘:間質性肺炎だったんです。でもね、僕が朝は野菜炒めを、夜は栄養バランスに気を使った食事を彼女のために作って看病しました。あれは大変だったよ。
ち:父には辛辣(しんらつ)だった母が「父の帰りを待つ母」になっていて、不思議だった。
弘:とにかく早く帰ってきてって。最後にお母さん言ったもんね。「私はいい人と結婚できた」って。
ち:えー。うそでしょ。それ自分で作った話でしょ。
弘:ある時、ふと「人生どうだった?」って聞いた時にね。長男もちさ子も立派になって、もう心配することは何もない。そう言ったの。その時に「私はいい人と結婚ができました」って。
──どんな言葉を返されたのですか?
弘:本当にそうだよね、って。僕も同感でしたから。
ち:あんなに文句を言っていたのに、あんなに父をバカにしていたのに(笑)、こんなに頼るんだってちょっと驚いたな。私が最後に母と会った時、酸素を吸いながらも、「あなた、またかばん買ったのね」と。それ結構うけたな。母も買いもの好きだった。
弘:ははははは。
ち:(姉のことも)母は、まあ私がいれば安心と思っていたと思います。これまで私は母が敷いたレールに乗って生きてきて、褒められたことなんて一回もありませんでした。ただ言われた通りに、母の望むように生きてきた。でも、言われた以上のことはやったと、最後に母に言われました。「ちさ子は、予想以上だったよ」と。母は、私が気性が荒いから結婚できないのではないかと、私の占いをしに行くほど、私の人生を心配していました。でも、無事に結婚し、コンサートもやれるようになって……。
弘:それは亡くなる前にも言っていました。もう心配がない、と。ちさ子は本当に頑張ったと思います。
──自慢の娘さんですね。
弘:え?
ち:急に聞こえなくなんないでよ。
(本誌・大崎百紀)
※週刊朝日 2020年4月17日号より抜粋