本人も球団も相思相愛でめでたく古巣復帰が決まったのが、中日時代の小池正晃だ。

 08年シーズン中に投手不足のチーム事情から石井裕也との交換トレードで横浜から中日に移籍した小池は11年、73試合に出場し、打率.268、5本塁打、21打点。日本シリーズ第1戦でも延長10回に値千金の決勝弾を放つなど、貴重なバイプレーヤーとして貢献した。

 だが、シーズンオフの11月末、生まれてから28年間過ごした横浜への愛着から、古巣・DeNAへの復帰を熱望して、FA権を行使する。

 そんな小池の気持ちを汲んだ球団も「ほかの評価を聞いてみたいという気持ちを妨げはしない」(佐藤良平球団代表)と気持ち良く送り出した。

 一方、DeNA側も「前向きにやってくれるんじゃないかと思う。やっぱり元横浜の選手だしね。ウチの補強ポイントとも合致する」(高田繁GM)と大歓迎だった。

 年俸8000万円の2年契約で合意に達した小池は「帰ってこられてうれしい。ドラゴンズで経験した勝つ喜びを若手に伝えたい」とキッパリ。翌12年は88試合に出場し、得点圏打率.333、18打点と勝負強さを発揮した。

 移籍先で出番が増え、チームにも愛着があったのに、実の兄のように慕う先輩のために、FA史上初の人的補償選手のFA権を行使して古巣に戻ったのが、脇谷亮太だ。

 14年に片岡治大の人的補償として巨人から西武に移籍した脇谷は翌15年、118試合に出場し、キャリアハイの打率.294、得点圏打率も.333と勝負強さをアピール。守備も一塁、三塁、外野をこなすユーティリティープレーヤーとして、チームに不可欠な存在になった。

「貰ったことのないぐらいの声援を貰った。充実した2年間だった」と、球団やファンに心から感謝していた脇谷だが、シーズン後の11月4日、「10年かけてやっと取った権利。他球団の評価を聞いてみたい」と11月にFA権行使を表明した。

 実は、西武移籍後も一緒に自主トレを行っていた高橋由伸が現役を引退し、巨人の新監督に就任したことが、「100パーセントの理由」だった。「僕が少しでも力になれたら」と、敬愛する先輩と再び同じユニホームを着て、支えようと決意したのだ。

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