わかりやすい超絶美男美女といったヒーローなどは古いのだ。人種、国籍、階級、ジェンダー、セクシュアリティー、世代など、複数のアイデンティティーの交差性の複雑さを複雑なまま表現されたキャラクターが、2024年の価値に相応しい世界である……という政治的正しさの表明のようなヒーローたちだ。
実際にゲームをした人があまりにも少ないので、このゲームがゲームとしてどうだったのかはわからない。ただ「ゲームをする」までにいかなかったことの理由の一つに、「政治的な正しさへの疲れ」があったと言われている。政治的に正しいキャラクターと、ゲーマーが求める魅力的なキャラクターの間には埋められない溝があったということなのだろうか。
今どきのフェミニズム的な政治的正しさと、政治的正しさを否定はしないが面白くないんです……と背を向けるゲーマーたちの文化闘争が苛烈化している。今の時点では、697人という結果が答えのようにも思えるが、銃で人を殺しまくるファンタジーの世界で起きているリアルな文化闘争は、どのような終着点を迎えるのだろうか。ゲームだけではなく、これはパリオリンピック開会式の多様性表現に対する議論、トランプさんとハリスさんの極端な文化闘争などにも通じる問題なのだろう。民主主義と自由と公平性を重んじる様々な国で、今、この文化闘争から逃れられている国はないのかもしれない。多様性という正しさ、今どきのフェミニズムは、どのようにリアリティを変革していくのか、またはしないのか。『虎に翼』は、こういう「今どきの言論空間」も浮き彫りにした。
ちなみに私は最近、日曜夜に放送されているNHK BSのドラマ「団地のふたり」に心癒やされている。小泉今日子と小林聡美が演じる55歳の幼なじみ2人が主人公で、脇役の名優たちも見物だ。自宅の網戸の張り替えを小泉今日子と小林聡美にお願いする団地の住人、由紀さおりが「おじいさんって、すぐ威張るし、怒るし、骨折する(だから50代の女のあんたたちのほうが頼りになるのよー)」という「全く正しくないセリフ」にホッとする。他人様に目覚めさせてもらうのではなく、私たちが自分の言葉を失わないでいることでしか、私たちは私たちでいられないのではないか。そんなことを、日曜の夜、お茶を飲みながら考えたりする。