山田尚子監督の作品から受ける衝撃を、なんと表現したらよいのだろう。大人が見ても、若者が見ても、心がきゅっと締め付けられるような、不思議な情動がある。その根源に何があるのか。
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すごく怖くて、夜の闇にいるような気分
――思春期にはみずみずしい喜びもあれば、葛藤もある。だが、その期間は一生から見ればほんの数年だ。なぜ、10代の青春を描き続けるのだろうか。
山田 子どもでもあるのに、体はどんどん成長して、形も変わっていく。ワクワクしているのかわからないし、まだいろいろなものが固まる前、これから変わっていってしまう世代や時間みたいなものに、すごく魅力を感じているのかな。私の中でも忘れられない感覚なのかもしれません。
私の場合はすごく怖くて、夜の闇にいるような気分でした。それでも、友達と話すことが楽しかったり、自分だけが大切にできる「好き」を見つけたり。心が柔らかい時期だと思います。
夢中になるものも、たくさんありました。みんなで同じものを好きになって盛り上がるのも楽しかったけど、ひとつ「自分だけの好き」、「自分だけが見つけたかもしれない」と思えることを、すごく大切にしていました。
「私だけかもしれない」
それは、美術や芸術、映像作品だったり、音楽だったり。テレビで夜中にやっていた映画を、「こんな時間にこの映画を観ているのは私だけかもしれない」とか思ったり…。そういう勘違いもできるような出会いが、熱量につながっていた気がします。
深夜にやっていたセルゲイ・パラジャーノフ監督の「ざくろの色」は衝撃を受けて、ビデオデッキに入っていた、絶対消したらいけないものが入っていそうなビデオテープに、そのまま録画をして、毎日観ていました。もしかしたら家族の大事なテープだったかもしれないです(笑)。でも、これはもう絶対見逃せないって録画ボタンを押した。
あの時の集中力とか熱量は、いまはなかなか思い出せない。だけど、感覚はすごく覚えているんです。
――「きみの色」と同じように、「色」が入っています。
山田 あ、ほんとですね。気づかなかった。言葉じゃないものに、とても興味があるのかな。