倉橋由美子『あたりまえのこと』(朝日新聞出版)から

書評家としての道標

「それまで自分が本当に何がしたいなんて考えなかったんです。でもそういえば私は本が好きだったんだなと思って軽い気持ちで『本を紹介できるような仕事ができたら』と答えた」

 読書好きは聡明な姉の影響だった。姉を尊敬し真似したいと3歳から文字を教わりグリム童話などを夢中で読んだ。その話を聞いた平尾さんは数カ月後、豊崎さんの名を冠した書評ページを作る。書評家・豊崎由美のはじまりだ。そして「どう書くか」を決定したのが2001年に作家・倉橋由美子が小説読本『あたりまえのこと』に記したこの言葉だ。

「こんな夢みたいなことは本当はありません。」

「村上春樹の『ノルウェイの森』のラストを辛辣に批評した一節で、読んだ時に本当に爆笑しました。日本の書評って褒めるのが当たり前、という風潮で批判は基本許さない。でも知的でエスプリの利いているこういう批判っていいなと思ったんです。当時は『女に何がわかるの?』と冷笑される雰囲気もあったと思います。でも私もこれから書評を書くにあたって、倉橋さんのこういう姿勢を守っていきたい。その胆力を持っていたいと思った。書評家としての道標になってくれた言葉です」

 04年にSF翻訳家で書評家の大森望さんと『文学賞メッタ斬り!』を上梓。ヒットシリーズとなる。

「でもあちこちから嫌われたし、世間を狭くしましたよ。あのころの自分に『それをやると55歳くらいから仕事が減っていきますよ~』と言いに行ってあげたい。それでもやっぱり、やっちゃうんでしょうけどね(笑)」

 そんな豊崎さんの座右の銘は24歳のときに出合った、

「およそ人間の生命などは、ある瞬間に大きな波のなかできらりと光る泡でしかないこと、しかしそれを笑うことのできる泡であること」

 フランスの小説家フィリップ・ソレルスの対談集『ニューヨークの啓示──デイヴィッド・ヘイマンとの対話』に収められた言葉だ。

「人間は誰でも『私なんてどうせなにもできない』とネガティブ状態になることがある。実際それは本当のことで、人間は所詮、広い海の中に時々ポコポコと上がってパチンってはじける泡でしかないんです。でもそれを笑うことができるのが人間だとソレルスは書いている。そう、私が思ってきたことは間違っていなかった!とすごく力づけられました」

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