悩める日々の中で自分を見失いそうなとき、進むべき道を照らしてくれる言葉がある。書評家・ライターの豊崎由美さんが、「人生に寄り添う三つの言葉」を語った。AERA 2024年9月2日号より。
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忖度なし、闘う書評家として知られる豊崎由美さん。書物への愛とユーモアをたたえた刃で文壇に斬り込む豊崎さんの人生の岐路には、やはり言葉との出合いがあった。ひとつめは中学2年のとき、母方の祖母から聞いた、
「いづこも同じ 秋の夕暮れ」
後年、『後拾遣和歌集』にある良暹(りょうぜん)の和歌の下の句だと知るが、そのときは知らなかった。
「私は小6で9歳上の姉を自死で亡くし、その1年後に母を病気で亡くしました。父と二人暮らしになったものの折り合いが悪く、寄宿制の高校に進学したいと考えていた。そのことを相談するために、山梨の母の実家に暮らす祖母を訪ねたんです」
山の中で自然薯を掘りながら祖母に自分の思いを吐露した。「うんうん」と聞いてくれていた祖母が言ったのがこの言葉だ。
「由美、いづこも同じ秋の夕暮れだぞ、って言って立ち上がって行っちゃったんです。そのときはどういう意味かわからなかったけれど、中2なりの脳みそで考えて『今の自分なら、どこ行っても同じだ』ということを祖母は言いたかったのかなと到達した。なんでも父親のせいにして、父親から離れれば明るい未来があると思っている私を諭したのかなと。いま私がやらなきゃいけないのは自分の考え方や父親に対する態度など、自分自身を振り返ることなんだと」
家に戻り、父のもとから高校に通うことを決めた。そして高校時代に良暹の和歌だと知った。
「寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ──寂しい秋の夕暮れを写し取った歌を勝手に自分に引き寄せた解釈にしちゃっていたんですけど、でもあのときはそれがストンと胸に落ちたんです。祖母は教養人ではなかったけれど、子どもの話もきちんと聞いてくれて、核心をつく言葉をぽつりと言ってくれる人でした」
ふたつめの言葉との出合いは40歳になったころだ。大学卒業後、豊崎さんはあらゆる雑誌にあらゆるジャンルの記事を書く売れっ子ライターとして活躍していた。転機になったのが雑誌「CREA」の編集長で後に文藝春秋社の社長になる平尾隆弘さんとの出会いだ。「豊崎さんは器用で何でも書ける人だけどほんとは何がしたいの?」と聞かれた。