「自分は、ステージ上でそれを見せ続けることのできる失敗のプロだった。」
「声も出ないし、なにもかもうまくいかない。プロとして満足のいくパフォーマンスができないのに、お客さんはずっといてくれる。なぜこんな自分から離れないんだ?という疑問を持つ主人公がふとしたとき、それが思い上がりだったと気づく。お客さんは我慢して自分のそばにいるのではなく、プロである自分の失敗こそを見に来ているんだ。そのときの言葉です」
「声」としての言葉を
スポーツであれば、失敗したらいくらファンでも怒る。だが音楽はライブで歌詞が飛んでも「可愛い!」と言われてしまう。失敗さえも価値になってゆく怖さと葛藤を抱えている自分にピタリとハマる言葉だった。
「これを書いたとき、自分がなぜ音楽をやるのか、現時点での答えが出せた気がしました。自分の言葉には違いないけれど、ミュージシャンとしての自分とはまたちょっと違うところから出てきたというか。やっぱりミュージシャンとして、変なことをやっていると思うんです。なぜ音楽の世界をわざわざ3年半もかけて書くのか。結局は、自分を納得させるために表現をしているんです。これは小説を書いている自分から、ミュージシャンとしての自分に送られた言葉なんじゃないか。この言葉を書くためにこの小説を書いたんだなと思えました」
音楽と小説の両輪を回す尾崎さんだからこそ、現代における「言葉」に思うことがある。
「いま言葉を『声』として聞く機会が減っていますよね。SNSやネットニュースなどの声にならない言葉が増えている。音にならない悪い言葉は残り続けるし、いい言葉ほど消えやすい。音楽をやっているので、なおさらそう感じるんです」
たしかに尾崎さんの選んだ二つの言葉はいずれも人から言われた言葉だ。人と人との対話の大切さを実感させられる。
「文字だけで見ると強烈な言葉でも、声にするといろんなニュアンスがある。例えば『バカだな』という一言の、その音に気持ちを込めて表現するというのをやってきました。いまこそ、もっと声としての言葉に耳をすますべきだと思います」
(フリーランス記者・中村千晶)
※AERA 2024年9月2日号