哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 ドナルド・トランプ前大統領が銃撃され、ジョー・バイデン大統領が再選キャンペーンから撤退し、カマラ・ハリス副大統領が民主党の大統領候補になり、世論調査でトランプ候補からリードを奪う……というめまぐるしい展開になっている。他国の大統領選のことでなぜそんなに騒ぐのかと言う人がいるが、米国は「他国」ではない。わが「宗主国」である。われわれ属国民の運命は誰が米国大統領になるかによって大きく変わる。無関心でいられるはずがない。

 少し前までは多くの人がトランプの2期目を予測していた。ヨーロッパを「兄弟国」と見なすことを拒否する大統領の登場によって、国際秩序が大きく変わることをヨーロッパのアメリカ・ウォッチャーたちは予測して暗い顔をしていた。最悪の場合、NATOからの米国の脱盟さえあり得る。どうやって米国の支援抜きでヨーロッパは生き延びるのか、それについての真剣な議論が始まっていた。

 だから、ハリスが「スウィング・ステート」での世論調査でトランプをリードしているというニュースにヨーロッパ諸国の首脳は安堵のため息をついたことだろう。

 日本では、トランプとハリスのどちらが大統領になった方が日本の国益に資するかというリアルな議論をほとんど目にすることがない。与党の政治家がそうしない理由はわかる。うっかりどちらかに肩入れして、読みが外れたときにホワイトハウスの「恩寵」を失うリスクがあるからだ。でも、政治学者やジャーナリストは「日本の国益上、どちらが好ましいか」について意見を述べるべきだと私は思う。

「どっちもどっちだ」という冷笑的な態度をする人が多いけれど、これは一見するとスマートだけれども、一種の判断停止・責任回避のように私には思われる。政治過程を分析する仕事は「絶対善と絶対悪」の二項対立で考えるシンプルな知性ではなく、「まだしも受忍できる悪」と「どうにも耐え難い悪」の程度差をクールに考量できる知性の仕事だと私は思う。「そんなもの、五十歩百歩だ」と冷笑してはいけない。その五十歩の差で人の生き死にが決まることだってあるのだ。

AERA 2024年8月26日号