元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 アメリカ行きを前にえらくスケジュールが立て込んで、一日に何個もの現場をハシゴしている。

 先日は中でも極めつけであった。朝7時から9時まで恒例のピアノ練習。カフェで大急ぎで朝食を取り、近所の公民館で正午まで書の稽古。帰宅して飯と汁をかっこみ13時から別の公民館で15時まで地元夏祭りの盆踊りの練習会。参加メンバーと近くの居酒屋でささやかに反省会をして夕食がわりのツマミ何品かを食べ、電車で数駅離れた書店に移動しブックトークの打ち合わせ。19時から2時間の本番を終え帰宅したら22時。あーめっちゃ忙しかったと一息ついてフト我に返る。これって仕事? 遊び?

 どうも判然としないのだ。お金の出入りだけを見れば。書道は先生に月謝をお支払いし、ピアノと盆踊りはお金の出入りなし。ブックトークは謝礼を頂いた。それで判断すれば 書道は趣味(遊び)でトークは仕事、あとの二つは不明ということになる。

 でも自分の中では、どれもただ「やりたいこと」なのである。場合や事情によってたまたまお金を払ったり、もらったりする感じ。なので仕事か遊びかと分けて考えてはいないし、その必要性も感じない。ただ日々やりたいことをやり、都度お金が出たり入ったりし、全体にトントンであれば問題なしという感じである。

 会社員時代は全くそうではなかった。まず仕事、つまりはお金をもらえることが優先。余った時間でそれを使って優雅に遊ぶ。言い換えれば、お金がなきゃどうにもなんない、お金を稼いで初めて『やりたいこと』ができるのだと信じていた。

 心からアホだったなと思う。もちろんお金を使って楽しいこともできる。でもお金を全く使わず、あるいはお金を頂いて楽しいこともできるのだ。そしてそのお金と楽しさの間には何の相関関係もない。そんな当たり前のことに半世紀も気づかず生きてきた自分に驚くし、遅まきながらも気づけて本当によかったと思う今日この頃である。

◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

※AERA 2023年4月10日号