■オリパラ大きかった

――これからのビジョンを聞くと、意外にも「以前のようにこれからのイメージを持つことが難しくなった」と話した。

櫻井:20歳の時、30歳の時は「10年後はこうなれていたらいいな」というイメージがあったんですが、いまは50代、60代をどう過ごしているかイメージしづらくなりました。

 自分の中での節目として、2021年の東京オリンピック・パラリンピックは大きかったです。08年の北京五輪から携わらせていただき、20代、30代とまいてきた種が芽吹いて形になった感覚が強くありました。

 いま、その延長線にいるのかはわかりません。ただ、いまこういうふうにお話をしていて、走りながら次への種をまかなければいけない時期なのかなと思いました。

 20代の時にまき始めた種が40歳前後で芽吹いたように、20年後にその種が芽吹いたらいいですよね。

 映画「神様のカルテ」でご一緒した深川栄洋監督が、2年ほど前に自主映画を作るにあたって「心を燃やしたかった」とおっしゃっていて、その言葉が自分の中で強く響いたんです。

「自分は何を燃やせているんだろう」と日々模索するようになりました。その“何か”は今は映画「ネメシス」であり、少し前はドラマ「大病院占拠」でした。

 嵐の休止後に「ニューズウィーク」さんから「震災のことと戦争のことを書いてみませんか?」とオファーをいただいたことがトリガーになったこともありました。そうやってトリガーを誰かに用意していただくことも、場合によっては自分が作ることもあり得ると思っています。

 今日この瞬間は気持ちを燃やせていますが、いつかその炎がなくなってしまう日が来るんじゃないか、来ないようにしなければいけないという怖さは常に感じています。ずっと何かを燃やし続けたいですね。

(ライター・小松香里)

AERA 2023年4月10日号

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