「図鑑」というアルバムタイトルには、「まだ出合っていない音楽や景色があるんじゃないか」という期待が込められている[撮影:蜷川実花/hair & make up 藤尾明日香/styling 三島和也(Tatanca)/prop styling 遠藤 歩]
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 10月から全30公演のアリーナツアーがスタートする「ゆず」。デビューから27年間、一度も活動休止をせずに歩んできた心境を語った。AERA 2024年8月5日号より。

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――ゆずのライブはラジオ体操から始まる。ゆずと観客の隔たりをなくす大切な儀式だ。

北川悠仁(以下、北川):僕たちはありがたいことにデビューをしてすぐに大きな会場でライブができるようになったので、一気に知らないスタッフが増えました。そこでスタッフの提案でみんなでラジオ体操をやることになり、いつしかステージでもやるようになりました。「夏色」の「もう1回!」「バカ野郎!」のやりとりは冷静に見ると「何やってるんだろう」と思うかもしれませんが(笑)、「バカ野郎!」と言われるのを待っている皆さんがかわいい。新しいものを作ることも大事だと思いますが、長く活動をしているとお約束や定番をやり続けることの喜びも感じます。これからも大事にしていきたいですね。

岩沢厚治(以下、岩沢):振り返ると、AERAの最初の表紙(2001年2月19日号)の時は「ゆずは『夏色』だけじゃないので『夏色』はセットリストから外したいです」と言っていた気がする。まぁ、若かったね(笑)。

北川:尖ってたな~(笑)。

岩沢:結局、周りのスタッフに諭されてアンコールで「夏色」をやって。当時は「ゆずっぽい」と言われることに対して悔しさを感じていた。2回目の表紙(14年3月17日号)の頃には、それが幸せだと思うようになりました。

北川:「栄光の架橋」(04年)が自分たちを色々な場所に連れていってくれたし、時代は流れても誰かの元に曲が残っていく感覚を知ったことが大きかった。

――デビューから27年間、一度も活動休止をせず、本格的なソロ活動もなく、二人で動き続けている。

北川:ちょっとした気分転換として岩沢が寺沢勘太郎一家に参加したり、僕が自分の誕生日にソロライブをやったことはありますが、やっぱりゆずで活動する方がいいと思っています。

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