秦始皇帝の兵馬俑(写真:Zoonar/アフロ)
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 映画『キングダム大将軍の帰還』が盛り上がりを見せている。映画では、大沢たかおさん演じる王騎将軍の戦いぶりも見どころだ。王騎は史実においても実在する将軍である。

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 映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、「王齮をはじめ老将軍たちの技量は若き秦王を支え、さらにその技量は次の世代の若い将軍たちに伝えられた」と指摘する。新刊『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。

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 嬴政(えいせい)は、わずか一三歳(前二四七年)で秦王に即位した。呂不韋の算段で父の太子子楚が秦王(荘襄王)となったが、わずか三年余りで逝去したことで、一三歳の嬴政に秦の王位が回ってきた。新たな危難は、一三歳の嬴政にかかった重圧である。秦王室傍系の嬴政には、王室の嬴氏一族の圧力がかかった。

 乗り越えられた大きな要因は、呂不韋や李斯ら外国人の有能な人材が、少年嬴政を支えたことであろう。呂不韋は多くの人材を食客(しょっかく)として集めていたので、かれらの知恵が秦王を後押しした。李斯は、嬴政が将来帝王になるべき人物と見抜いた。そして少年秦王を対外的に守ったのは蒙驁(もうごう)、王齮(おうき)ら昭王時代からの初期の老将軍たちであった。

 一九歳(前二四一年)の秦王には、合従軍の侵入によって国の存亡を左右される危難があった。東方五カ国の合従軍が、秦都の咸陽近郊まで侵略したのである。咸陽近郊の地と、祖父孝文王の陵墓の地を攻められた。統一後の述懐から、嬴政の心にはこのときの負の記憶が一生残ったことがうかがえるが、それが嬴政の中華統一の活力のもとにもなった。

 再び攻め込まれないように、合従軍の結成を阻止し、東方六国を分断する必要がある。これは当時典客(外交官)を務めていた李斯の外交力と、将軍たちの働きで実現できた。そのようななかで信頼する蒙驁将軍を失ったのは大きかった。

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王齮が次世代にもたらしたもの