森茂起さん(もり・しげゆき)/1955年生まれ。甲南大学名誉教授。専門は臨床心理学で、トラウマ研究の第一人者。著書に『トラウマの発見』など(写真:本人提供)
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 たとえ戦場から生還しても、元兵士の心には深い傷が残る。戦争のトラウマは、復員兵に家族への暴力、アルコール依存など大きな影響を及ぼす。背景には何があるのか。トラウマ研究の第一人者、森茂起氏に聞いた。AERA 2024年8月5日号より。

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 戦場で傷ついた元兵士が、妻やわが子に暴力を振るう背景にあるのは「怒り」です。

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)の主な症状の一つに「過覚醒」があります。神経が高ぶった状態をいいますが、命の危険がある戦場では常に気持ちが張り詰め、緊張が解けません。怒りの感情は、自分を脅かすものが現れたとき生き延びるために重要な感情です。復員しても警戒する感覚が取れず、家族の気になる言動とか、自分の思いにそぐわない出来事などが引き金となって怒りの爆発という形で反応してしまうのです。

 あるいは、戦場で大変な経験をして帰国したのに誰も理解してくれない社会に対する怒りもあったかもしれません。その怒りを社会に向けたくても向ける対象がないため、身近な家族に向くという面もあるでしょう。

 アルコールへの依存は、復員兵の大きな問題の一つです。トラウマ体験の記憶が突然、鮮明に思い出される「フラッシュバック」やいらだちを和らげる手段としてアルコールに手を出すのです。その結果、社会復帰の困難など他の問題へつながることにもなります。

 また、トラウマ反応にうつ症状が伴うこともよくあります。暴力的でなくとも、自然な愛情を家族に向けることができなくなった場合もあります。

 親のトラウマはさまざまな形で子ども世代に伝達されていきます。「トラウマの世代間伝達」という言葉で理解されている現象です。虐待の連鎖という形で、下の世代に受け継がれていった場合もあるでしょう。

 戦争トラウマは、適切な治療があれば回復できたかもしれません。しかし、治療については、方法が未発達でしたし、「勇敢な日本兵にそのような病はない」という軍の姿勢などもあって、研究や治療も手つかずの状態だったと思います。世界的に見ても、治療法の発展は1980年代以降ですから、戦後の日本には方法がなかったということも言えます。

 ひどい体験をすれば、トラウマが残るのは人間の自然な反応です。それはどんな健康な人でも起こる自然なことです。

 家族の歴史を振り返った時、戦争の影響を知ることができる人もいるかもしれません。たとえ家族の中にそうした人がいなくても、社会の中にあった戦争のトラウマの影響を多くの人が理解し、共有することが大事です。それが、戦争の教訓から学ぶということだと思います。

(構成/編集部・野村昌二)

AERA 2024年8月5日号

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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