地元の飲食店の方々が工夫を凝らした「こんかプレート」。皆さんの地元愛が満載!(写真/本人提供)

 レンタカーで氷見に到着し、高台から見下ろした街は黒瓦の家並みが軒を連ねるしっとりとした風情で、地震の爪痕も見当たらずホッと一息。ところが丘を下りて街を歩けば、入り口に「危険」の張り紙がはためく無人の家がずらりと並んでいるではないか。外観は何とか保っていても、液状化で畳や床が波打ち住める状態ではないのだ。だが様々な事情で半年経っても取り壊しが進んでいない。

 祝いの席では、ご飯が何杯でもいける新物のこんかをありがたく堪能した。被害の大きさに事業再開など考えることもできなかった地点から、手伝いを申し出てくれた地元の仲間と、こんな時にも歩みを止めない自然の営み(大漁の鰯)に背中を押されて、何とかこの日にこぎつけたという六代目の話に、これがこうして頂けるのはほぼ奇跡なのだと知る。我々は本当に知らないところで、見知らぬ誰かの踏ん張りに支えられて生きているのだ。

 ちなみに煮干しの生産はもう難しいかもしれないという。加工を支えていたパートのおばちゃんたちがまちを出ていってしまったからだ。偉大なるパートのおばちゃんの存在に今更ながら感謝である。しかしあれがもう味わえないと思うと心にびゅうと寂しい風が吹く。

AERA 2024年8月5日号

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