――初演から9年たっていますが、今回はどのように演じましたか。
ブレないことがすごく大事だと思ったので、ウシジマくんシリーズを見返しながら思い出していきました。現場は和気あいあいとしていて、(犀原が社長を務める)「ライノーローン」のメンバーもすごく仲が良いんです。監督が天才肌なので、直前のセリフ変更や追加が常にあり撮影中は緊張感がありましたね。
――役者を目指したのはいつごろですか。
前の事務所に演技レッスンがあったので楽しんで参加していたんですが、女優になりたいとは思っていませんでした。その理由は、初めてお会いしたプロデューサーという肩書の方に「君はハーフだから、女優顔じゃないね」と言われたから。子どもだったこともあって「ああそうなんだ」と受け入れて、女優の道はないものだと思っていました。
「CanCam」の専属モデルを卒業し、24歳で現在の事務所に移籍したタイミングで、軽い気持ちで朝ドラ「純と愛」のヒロインオーディションを受けたんです。マネージャーさんに「どう考えても、朝の顔じゃないよね」と言いながら。でもそこで、私と同じく日本人の父とフィリピン人の母を持つ役を作っていただいて出演できることになりました。演技もすごく楽しかったんですが、正直、その時は「今回限りかな」と思っていました。でもその後、武田鉄矢さんから「女性として既に魅力的なんだから女優を続けて」と声をかけていただき、共演した風間俊介さんや城田優さんにも「続けてよ」と言ってもらいました。本当に人に恵まれて、今があります。演じる仕事が、私の人生を変えてくれました。
――これまで経済的に貧しい家庭で育ったことや難病の潰瘍性大腸炎や子宮頸がんを患ったこと(現在はどちらも完治)を著書『わたしの「不幸」がひとつ欠けたとして』などで明かされています。その思いを改めて聞かせてください。
本の表紙に「Difficult? Yes. Impossible? ……No.」と書いたんですが、難しいことはあっても自分が信じていれば不可能じゃないよっていうメッセージをすごく伝えたいと考えていました。周りから否定されて、100人中100人から無理だよって言われても、できる可能性はあります。まだやった人がいないのなら、自分がその1人目になればいい。医者に「一生付き合っていくもの」と言われた病気が治ったのもそうですが、今、真っ暗だと思っている人に、とにかく光を失ってほしくないという思いがありました。