![1995年11月9日、標高2017mの雲取山への登山で頂上に到着した徳仁天皇と雅子皇后 (c)朝日新聞社](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/9/2/677mw/img_9274965f14ea41cae10a61eb35dfdb9a90113.jpg)
![那須連山の茶臼岳は森林限界を超え、遮るものがないので眺望がよい。筆者(右)も登ってみた (撮影/写真部・加藤夏子)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/7/7/620mw/img_77c71c66a4ecd00a48a28a9f4baa6cf361133.jpg)
![徳仁天皇が登った2500m以上の日本百名山 (週刊朝日2019年8月30日号より)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/a/6/619mw/img_a60bfadc656010cf76a6a7470b595692130342.jpg)
猛暑が続いているが、世の中は夏休み、行楽の季節。貴重な休日を過ごす皇族方の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2019年8月22日に掲載した記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
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登山好きとして知られる徳仁天皇。これまで日本百名山など170座を超える山々に登頂してきた。それらのなかから、初心者でも本格的な登山の気分を満喫できる山で、徳仁天皇も歩いたルートを一部紹介する。同じ道を歩き、「ロイヤル感」を味わってみては。
「少し歩くだけで、皇太子さま(当時)は普通の人とは違い、山を歩き慣れていることがわかりました。優しくも力強い。慈しむようでもありました」
そう話すのは、那須山岳救助隊前隊長の大高登さん。徳仁天皇が皇太子だった1992年から、徳仁天皇が那須の山々を登る際には、ほぼ毎回、案内役を務め、約20年間で十数回、一緒に歩いたという。
初めて大高さんが徳仁天皇を案内したのは那須連山の最高峰、三本槍岳(1917メートル)だ。那須連山は火山であり、登山道が整備されているとはいえ、大きな岩や石が散乱しているガレ場が多い。歩き慣れていないと、足をくじいてしまう。
「お足もとはとくにお気をつけくださいと、殿下にはよくよくお伝えしました」(大高さん)
一緒に登ってみるとそんな心配は無用で、徳仁天皇はしっかりとした足取りで歩みを進めたという。
徳仁天皇が初めて登山をしたのは5歳のとき。軽井沢にある離山(はなれやま)だ。以来、富士山をはじめ、3千メートルを超える北岳や仙丈ケ岳など、日本百名山の約半分を含む約170座に登頂している。なかには中級者レベル以上の技術が必要な山もあり、それだけの技術の高さと体力があることをうかがわせる。
「『殿下は足が達者なので、そのペースに合わせると私どもがついていけなくて困ります』とお付きの方が心配していました」
そう語る大高さんも、その歩きに目を見張ったという。
徳仁天皇が皇太子時代の2005年に八ケ岳の権現岳を登った際に同行した、八ケ岳山岳ガイド協会の竹内敬一会長もこう語る。
「トレーニングされているようで、しっかりした足取りでした。息が切れることなどなく、一定のペースを守り登山慣れしていることがすぐわかりました」
![](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/d/e/120m/img_de030a0316d33966bf5c406bdc60d15c470834.jpg)