広大なアフリカ大陸のうち25カ国を訪ねてきた、フリーランスライターで武蔵大学非常勤講師の岩崎有一さんが、なかなか伝えられることのないアフリカ諸国のなにげない日常と、アフリカの人々の声を、写真とともに綴ります。
およそ20年前、よろけるほどの重い荷物を背負ってアフリカへ旅に出た岩崎さん。今ではPC・携帯、そしてネットが使えるので、かなり身軽になったといいます。それでも昔から変わらず、必ず持っていくものがあるそうです。それは一体……。
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今、アフリカを訪ねる旅の荷支度をしている。
荷を詰めるたびに、荷物の量がずいぶんと減ったなあとしみじみ思う。
初めてアフリカの地を訪ねたのは1995年のこと。アフリカ各地においては、ネットも携帯電話もない時代だった。当時はまだ、私自身はPCや携帯電話は持っておらず、様々な情報は紙で持ち運ぶしかなかった。懐中電灯も、重たい単3電池を伴うもの。ノートパソコンやスマートフォン、LED電球のライトなど、軽量化と小型化が進んだ現在のさまざまな装備品と比べればしかたがない面もあるが、それにしても、あまりに多くの荷物を持っていく必要があった。
まず、紙の量が膨大だった。訪ねる予定のアフリカ各国について調べて書き加えていったノートだけでなく、コピーした資料をきちょうめんに貼り付けたバインダー式のノートや、未使用のノートをどっさりと持っていた。また、ガイドブックや辞書に加え、数冊の本まで携えていた。おそらく、ノートや書籍類だけで5キロぐらいはあったと思う。
医薬品も相当な量を準備した。熱が出たらどうしよう、傷を負ったらどうしようと、各ケースで必要と想定されるものを用意した結果、医薬品だけで小さなカバンひとつ分ほどの分量となった。
万事この調子で準備を進めた結果、80リットルの登山用バックパックは膨れ上がり、重量は40kgを超えた。あまりの重さによろけながら自宅をたつ私を見た母は、さぞかし心配したことと思う。
当時アフリカで出会った旅行者のひとりからは、次々に出てくる私のノートを見て、「ユウイチには秘書が必要だね」と冗談を言われた。また、膨大な量の医薬品を見たトーゴの友人は、「それだけ薬があれば、どこでも病院を開ける」と言っていた。そう言われても、われながらうなずけるほどの装備。今になって思えばまったくもって恥ずかしい話だが、こみあげてやまない不安感に比例して、私の荷は膨れ上がっていたのだった。