母はまもなく別の男性と結婚し、私と妹は新しい二人目の父親を迎え入れた。

連れ子の私たちにも気さくに接してくれる彼は、「父親」というよりは「友達」のような存在だった。遊びでも子どもっぽく本気になるところが本当におかしくて、今でもその楽しそうな笑い声を思い出す。
 

◎          ◎ 

彼と暮らし始めて数年後。母は再び離婚し、また別の男性と結婚した。三人目の父親がやってきた。

彼と母の間には弟が生まれた。継父と母と三人きょうだいの五人家族となった私たちは、楽しく賑やかな生活を送っていた。継父は、ちょっと抜けているところはあるけれど、愉快で朗らかな性格で、素敵な父親だった。

弟は大きくなり、継父との暮らしも長くなってきた。
なのに私は、度々実父のことを思い出しては、一人で泣いていた。

中学生で思春期だったのもあり、継父を「実の家族でない、一人の男性」として意識してしまうことが増えていて、その反動だったのだと思う。私はどうしても、継父を「父親」として認められずにいた。

そのせいで、自分と血のつながっている実父の存在が、小さい頃の少ない思い出が、心の中でみるみるうちに膨らんでいく。実父が私の「お父さん」で居続けてくれたら良かったのに。そう何度も思ったけれど、そんな自分が嫌で惨めだったし、誰にも打ち明けられなかった。

優しい両親と大好きなきょうだいがいて、何不自由ない生活を送っていても、心の奥底には重い孤独感があった。
 

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自分にとって「父親」って、誰なんだろう。そんな疑問が晴れないまま、私は高校生になっていた。そして、互いをうまく思いやれなくなってしまった継父と母は、最終的に離婚してしまった。

シングルマザーと三人きょうだい。私たちは「父親」のいない家庭となった。母は女手一つで、厳しい生活の中、私たちきょうだいを育て上げてくれた。
私たち家族は、性格も好きなものもバラバラなのに、昔も今も変わらず仲が良い。それはもちろん、三人を愛情深く育てくれた母のおかげだし、今までの「父親たち」のおかげでもあるのだ。

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