映画『キングダム 大将軍の帰還』が盛り上がりを見せている。映画では、新木優子さん演じる六大将軍の一人・摎(きょう)をめぐるドラマも見どころだ。六大将軍の活躍した昭王の時代は、史実においてはどのような戦が繰り広げられたのだろうか。
映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、「昭王の在位時期は、将軍の斬首の記事がきわめて多かった」と指摘する。一方、秦王嬴政の在位時期には、「桓齮(かんき)」と「麃公(ひょうこう)」の事例を除けば、斬首の記事は見られないという。
新刊『始皇帝の戦争と将軍たち ――秦の中華統一を支えた近臣集団』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。
【『キングダム』の内容にかかわる史実に触れています。ネタバレにご注意ください】
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『史記』秦始皇本紀によれば、始皇一三(前二三四)年、秦の桓齮(かんき)将軍は趙の平陽を攻し、趙の将軍扈輒(こちょう)を殺し、斬首一〇万という戦績を挙げた。秦始皇本紀に敵方の将軍の名を挙げることはほとんどない。斬首の場合、敵方の将軍の首も含まれるので記したのであろう。
秦始皇本紀では桓齮の将軍としての戦績を「斬首」の総数で記し、趙世家では趙の側に立って扈輒将軍が戦死したことだけを記し、「斬首」には言及しない。
斬首一〇万は桓齮将軍の功績であるが、それは実際には戦争に参加した一人ひとりの兵士の功績の総数である。
『里耶秦簡(りやしんかん)』のなかに「南里士五(伍)異斬首一級」という竹簡があり、士伍(爵位なき者)の「異」という人物が、斬首一級の戦果を挙げたことを示している。斬首を一級と数えるのは、首一つで二十等爵制の一級を得られ、一つ一つ昇級していくからである。
さて、奇妙なことは始皇二(前二四五)年に麃公(ひょうこう)が魏の巻(けん)を攻めて斬首三万とあるくらいで、秦王嬴政の時期、始皇一三年の桓齮による斬首一〇万のあとに斬首の記事はないことである。将軍の功績は、占拠した城の数で示されている。