杉村英孝(すぎむら・ひでたか)/1982年生まれ、静岡県伊東市出身。TOKIOインカラミ所属。パラリンピックは2016年リオ大会で団体戦銀メダル。21年東京大会は個人戦BC2クラス金、団体戦銅(撮影/写真映像部・上田泰世)
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 AERAの連載「2024パリへの道」では、今夏開催されるパリ五輪・パラリンピックでの活躍が期待される各競技のアスリートが登場。これまでの競技人生や、パリ大会へ向けた思いを語ります。

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 パリパラリンピックで連覇が期待されるボッチャの杉村英孝だが、この3年間は苦しんだ。東京パラリンピック後にボールの規定が変更されたからだ。

 これまではボールの大きさや重さ、柔らかさが規定内であれば素材や革は自由に選ぶことができた。そこで、杉村は投げる球種に合わせてボールを選択し、寄せる、弾く、乗せるなど多彩な攻撃を仕掛けてきた。だが、ボールは必ず公認メーカーのものでなければならないと新たに規定され、加工もできなくなった。

「ボールは競技において肝心要(かんじんかなめ)な道具なのに、東京大会で使っていた球がまったく使えなくなった。自分に合ったボールを探してそれを一から育てていかなければならなくて、それに2年半以上かかった」

 これまで使っていたボールは10年以上使い、手にフィットしていたが、真新しいボールはカチカチで、脳性まひの影響で手にもまひのある杉村にとっては、握って投げることも難しいところからのスタートだったという。日本選手権も、廣瀬隆喜(西尾レントオール所属)に4連覇を許すなど、なかなか結果を残せなかった。

「正直、これで本当に勝てるのかなと思う時期もありましたけど、しっかり戦えるボールが育ってきた。今は信頼あるボールがそろい、自分が表現したいプレーができるようになってきたところ。あとは自分の技術をしっかり発揮できるよう、臨んでいきたい」

 ボールの育成と同時に、投球フォームの改造にも取り組んできた。世界はパワーのある海外勢を中心に、力で球をはじく「パワーボッチャ」が主流になっているなか、

「自分はパワーで対抗することはできない。でも、パワーがないと勝てないということでは決してなくて、自分の強みはアプローチの精度など繊細な技術。その精度を高めていくためにも投球フォームの改善が必要だった」

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